2009年 11月 07日
マリー・アントワネットの劇場は、リシャール・ミックによって1779年夏完成。 宮殿専属ガイドのツアーだと観客席に入れる。しかも座って説明聴けるんですね。いいな、私も参加したかったな。・・・次回ということで。 宮殿専属ガイドによるツアーはフランス語または英語のみ。 別の日に参加した、王のプライベートアパルトマンの英語ツアーガイドが、こちらのお兄さんだった。 写真ではわからないけど、このお兄さんイケメンです。(← 顔をまず、しっかり確認!常識!) 黄金に輝く燭台は、実は漆喰に金メッキ加工を施したものだそうです! 1794年以降、いろいろな物が売られてしまったけれど、こちらは本物の金ではないという理由から売れ残り、現在に至ったということです。 また、右側の壁はナポレオンの時代は修復にかけるお金がなく、「壁紙」で済ませたそうです。 その時の壁紙の色はブルーで、後にルイ・フィリップ(後述)が赤に変えたそうです。流行とかもあったのでしょうね。 アントワネットの時代を偲ぶことができるのは、金メッキの燭台と舞台装置(これがまた実にすばらしくよくできています)くらい・・・と言っても過言ではないでしょう。 写真ではわかりづらいですが、壁や手すり、座席に張られたベルベットや、シルクの布までが売られてしまったそうですから・・・。 舞台の上、正面に見える金色に輝く M と A (が重なっている)のモノグラムは、マリー・アントワネット(Marie-Antoinette)のイニシャルだと思いがちだけど 現在あるのはルイ・フィリップ王妃マリー・アメリー(Marie-Amelie)を指しているそうです。 ルイ・フィリップは、ルイ16世の裁判で死刑に1票を投じたオルレアン公(またはフィリップ・エガリテとも言われている~このオルレアン公も処刑される~)の息子。 マリー・アメリーは、マリー・アントワネットの姉マリア・カロリーナ(ナポリ王妃)の娘。 しかしこの二人の結婚、マリア・カロリーナはよく許したな・・・って思う。彼女(カロリーナ)にしてみれば妹夫婦の敵・・・の息子と自分の娘が結婚するんだものね。 いろいろ複雑だったんだろうな。 このルイ・フィリップって人(写真がない残念)は、髪型がリーゼントっぽくて笑いのツボなんですけど・・・私だけ??? さらに昔の上司に似ていて・・・笑・・・(注:上司はリーゼントではありません) モノグラムに話を戻します。 最初はマリー・アントワネットのモノグラムがあったそうですが、ナポレオン1世が再婚相手のマリー・ルイーズ(ハプスブルグ家出身、マリー・アントワネットの兄 レオポルト2世の息子の娘、つまり甥っ子の娘。)の為に、双頭の鷲に取り替えたそうです。双頭の鷲はハプスブルグ家の紋章です。 その後、ルイ・フィリップがマリー・アメリーの為に MA のモノグラムを再設置したとのことです。 ダーッと、ダッシュしてみたくなりますね・・・。こうして見ると、バラと葉の赤い色が、差し色っぽくてきれいです。 マリー・アントワネット以降、マリー・ルイーズ(ナポレオン1世妃)、マリー・アメリー(ルイ・フィリップ王妃)そしてマリーアントワネットの遺品の収集家でも有名な ウジェニー皇后(ナポレオン3世妃)まで、愛され続けた小さな劇場。でした。
by pinkfleur
| 2009-11-07 02:29
| マリーアントワネットの離宮
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 ヴェルサイユ宮殿 マリーアントワネットの離宮 王妃のプライベートアパルトマン アントワネット関連・人・事 アントワネットコレクション 王一家逃亡の地ヴァレンヌ フォンテンブロー城 パリ モンサンミッシェル サン・マロ オーストリア イタリア フランス語 未分類 記事ランキング
以前の記事
2012年 05月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 ライフログ
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||