ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~                         

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2011年 03月 06日

ヴィジェ・ルブラン展

3月1日 「マリー・アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展」 を観に
東京三菱一号館美術館まで行ってきました。


そしてその後、日経東京本社ビルで行われた
「グザビエ・サルモン氏」の講演会にも行ってきました。


ロザリーの話しはしばらく中断します。




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ずーっと心待ちにしていた展覧会。もちろん講演会も。


私はマダム・ヴィジェ・ルブランと誕生日が同じです。(笑)
王妃のお気に入りだった画家と誕生日が同じ、というだけで単純にうれしい。


残念なことに私に画才は・・・ありません(笑)。
マダム・ヴィジェ・ルブランと共通しているのは
絵を描くことが好きということだけ。(笑)


子供の頃から絵筆を握ることが好きで何かしら描いていました。
もちろん外で遊ぶことも好きでしたが
絵を描くことに楽しみを感じていたお絵かき少女でした。


友達が遊びに来てもモクモクと画用紙に向かっている
(その頃から)マイペースな子供でした。
小学校の休み時間、お姫様(笑)の絵を描く私に
「○○ちゃん、私にも描いて」 とクラスメートの行列ができ
サインまで要求されました。(笑)


賞を貰うこともたまにありましたが
ただ絵を描くことが好きなだけだったので
賞を獲りたいとは一度も思ったことがありませんでした。


大人になってからは、パステル画を描いていた時期もありましたが
今ではすっかり遠ざかっています。
(パステルってその辺粉だらけになるんですよね)


もはや観るだけの私ですがそれでも年に数回
好きな画家や美術にふれるのは至福の時です。


今回のヴィジェ・ルブラン展には
普段アントワネットのプライベートアパルトマンに保管されている作品も来ています。
「ポリニャック夫人」 や 「マダム・エリザベート」 の肖像画も来ていました。



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マダム・エリザベート  ルイ16世の妹

最後まで兄一家と運命を共にします。
ルイ16世の刑死後、アントワネットがコンシェルジュリに移送され刑死。
兄夫婦の娘マリー・テレーズとタンプル塔に残されるも
1794年彼女もギロチンの刑に処せられます。

2008年秋 ヴェルサイユ訪問時撮影 



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ポリニャック公爵夫人  ご存知アントワネットの友人  

彼女もアントワネットが亡くなった同じ年の1793年
亡命先のウィーンにて王妃の後を追うように病気で亡くなります。

撮影同上



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ルイーズ・マリー・オルレアン公爵夫人

アントワネットの最初の親友ランバル公爵夫人は、オルレアン公爵夫人の兄嫁です。
オルレアン公爵はフィリップ・エガリテと呼ばれ王族の一員でありながら
ルイ16世の死刑賛成に一票を投じ、また彼自身も1793年断頭台の露と消えます。
王妃の処刑から間もなくのことでした。
やがて彼の息子ルイ・フィリップが即位しますが
彼の妃はアントワネットの姉ナポリ王妃のマリア・カロリーヌの娘です。
アントワネットの姪にあたります。

撮影同上





およそ3年前、王妃のアパルトマンで会った(観た) 「ひとたち」 に
再び会えたような、旧知の仲の友達に会えたような気がして
胸が一杯になりました。


「アルトワ伯」 と 「マダム・クロチルド」 の子供の頃の肖像画こちらは私は初めてでした。
思わず頬ずりしたくなるほど子供のかわいらしさが溢れた作品でした。
*二人ともルイ16世の弟と妹です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



私は美術作品を細部までしっかり観ます。
肌の質感、目の色、レースの繊細さ、髪の光沢、
その他諸々一つとして取りこぼすことのないように息をひそめながら。


画家の前でポーズを取り、画家もまた線を引き絵具をキャンバスに置いていく...
なんて、作品が描かれた状況を想像しながら観ていると
画家・被写体両者の息吹を感じます。
写真とはまた違った温もりのようなものが伝わってきます。


そして少し離れたところからまた観ます。
近くては見えないものが必ずあります。


私は絵画展に行ってもそこに書いてある解説は読みません。
(作者名と年代をさっと見ることはありませすが)
作品だけをドンドン観て回ります。


絵を鑑賞するのに知識は要らない、というのが持論です。


俄か仕込みの知識なんてどうせ忘れます。 (私の場合)


大事なのは印象に残る作品にめぐり合えるか。
好きになった作品に出会えたか。
私は作品展に行く時はいつも
今回はどれだけ「好き」に出会えるかワクワクしながら向かいます。


「これいい。好き。嫌い」って感じることが私には大事。
そのためにもほぼ予習はして行きません。(笑)
気に入ったら図録を買って解説を読みます。


美術だけでなく音楽だってそう。


その曲が好きかどうか。


マリー・アントワネットはオペラ鑑賞の後、素直に拍手をしました。
それまでフランスでのオペラ鑑賞は拍手をしてはいけないマナーとなっていました。
以降、彼女に倣って皆拍手をするようになりました。


クラシックのこの曲が好き。だけど作曲家や演奏家を知らない、という人と
そんな素人をバカにするプロ、どちらが恥ずかしいでしょうね。


後者は芸術家気取りの単なる頭でっかち。
こういうスノッブな人達が芸術を高尚なものだと勘違いさせていると思います。


どんな人にも心の目や耳があります。
素人の心の目や耳を震わせてこそではないのでしょうか、芸術とは。


心で観るから心に残る。
心で聴くから心に響く。


ヴィジェ・ルブラン展はまだ始まったばかりです。


少なくともあと2回は行くつもりです。


とりとめのないことをつぶやき長くなってしまいました。
最後まで読んで下さってありがとうございました。




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# by pinkfleur | 2011-03-06 20:49 | アントワネット関連・人・事
2011年 02月 24日

ロザリーの本名


ロザリーはコンシェルジュリで最後の日々を過ごしたアントワネットの世話係として
フランス革命の舞台に登場し、歴史にその名を残しました。
しかしその存在はほとんど知られていません。



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この絵はルドゥーテの薔薇です。
ロザリーに捧げるつもりで。



我々の知るロザリーの名前は " ロザリー ラモリエール " ですが



彼女の本名が実は マリー・ロザリー ドゥラモリエール " Marie-Rosalie Delamorlière "
だったということがわかりました。



フランスのマリー・アントワネットファンのホームページ 
" Le Boudoir de Marie-Antoinette " で知ることができました。



このホームページを教えて下さったくみさん、
くみさんのおかげです。本当にありがとうございます。
Merci beaucoup !



文盲であった彼女 (まだまだ識字率の低かった時代です) は
後年、王妃に仕えたコンシェルジュリのことを述懐しています。(ロザリー29歳の頃)
彼女の証言は1824年に出版された Lafont d'Aussonne 氏の伝記に
収められているようです。



日本ではなかなか目にすることが難しい貴重な資料が
本国フランスにはまだまだたくさんあるのだろうな~
とため息をついてしまいます。



以下 ≪ ≫ 内太字文章ホームページの記事より筆者要訳

≪ 革命下、ロザリーは自身の名前 " マリー・ロザリー ドゥラモリエール " の
ファーストネーム " マリー " がマリア様を想起させるということからマリーを隠し
名字のドゥラモリエールの " ドゥ " が貴族の名前に付くドゥ(de) と
同じ響きということから " 貴族出身 " と思われるのを避けるため
ドゥラモリエールからドゥを消してラモリエールとし
以降ロザリー・ラモリエールと名乗ります。 " Rosalie Lamorlière "

ブルトイユ生まれのマリー・ロザリー ドゥラモリエールは
初め、王党派のマダムボーリューの部屋付き女中として働いていました。
ルイ16世の処刑後、その死を悼みながらマダムボーリューも亡くなると
彼女の息子で同じく王党派であったムッシュ ボーリュー(以下ボーリュー氏)は
コンシェルジュリの看守であったマダムリシャールにロザリーを託します。

牢獄で受刑者の世話をする仕事が嫌だった彼女は
ボーリュー氏の革命裁判から不幸な人々を守るべく
無償で弁護をする姿を目の当たりにし
やがて無実の罪で投獄された多くの人々の為に
コンシェルジュリで働くことを受け入れます。

そうしてタンプル塔から移送されて来た王妃の
世話をすることとなったのでした。 ≫




ロザリーはセカンドネームだったのですね!驚きました!
本名を伏せていたんですね!



革命下のフランスの宗教事情を知れば
前述の記事でもマリア様のことに触れているように
彼女が名前を隠さざるを得ない状況だったことが理解できます。



フランスでは教会は国王の支配下にあったため
革命において教会の国有化、聖職者の公務員化を図り
反バチカン政策をとりました。



この時 「聖職者民事基本法」 なる憲法に
宣誓を拒否した司祭 (反革命派) のことを
我々もよく耳にする 「宣誓拒否司祭」 と呼んでいたのです。



アントワネットも遺書に
「私はローマ・カトリック教徒として死に臨みます。宣誓司祭の秘跡は受けません。」
とハッキリと遺しています。



前回の記事でハミルトンの絵画を扱いましたが
そこにアントワネットの傍らに聖書を持って佇む司祭が描かれています。
アントワネットは自身の誓いどおり宣誓司祭から顔を背け
新政府が作った宗教などカトリックとは認めないという意思表示をしています。
最後のせめてもの抵抗だったのでしょう。



ノートルダムでは聖母マリア像にとって代わって自由の女神像が据えられました。



こういうことからファーストネームであるマリーを隠したのですね。
きっと彼女だけではなかったことなのでしょう。



それにしてもロザリーって
とても詩的で美しい名前だと思いませんか?
語源はやはりローズ(薔薇)のようです。




余談ですがアメリカの私のホストファミリーの
おばあさんの名前がローズでした。
ローズやロザリーは最近あまり聞かないので
今では古風な名前なのでしょうね。
ロザリーはローズほどではなさそうだけど。(笑)



そういえば映画タイタニックでケイト・ウィンスレットが
演じたのもローズという名前。
映画の中でローズは婚約者からナナ (Nana) と呼ばれていました。
前述の私のおばあさんもニックネームはナナでしたので
どうやらローズのニックネームはナナのようです。



ところで私はディカプリオより婚約者役のビリー・ゼーンの方が好きで
彼観たさに映画館に3度も足を運んだおめでたい人間です。(笑)





ポエティックな名前の彼女を想像しながら寝ます。
ロザリーが夢に出てきそうな気がします。
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# by pinkfleur | 2011-02-24 00:01 | アントワネット関連・人・事
2011年 02月 06日

王妃の髪を切ったのは

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Marie-Antoinette conduite à son exécution le 16 octobre 1793 
刑場へ運ばれるマリー・アントワネット

William Hamilton作 1794年 Vizille, musée de la Révolution française収蔵

 

この作品はイギリス人画家ウィリアム・ハミルトンによって描かれました。
2008年パリ・グランパレで開かれたマリーアントワネット展の図録によると
処刑直後の新聞記事に基づき製作されたとあります。
画家本人のサインが図版左下に認められ、1794年と記されているそうです。
王妃の処刑から完成まで数ヶ月 (はかかりますね) 費やされています。


画家の死後肖像画は売却され転々とした後1993年7月14日
ロンドン・サザビーズオークションでフランス・リヨンの画廊Michel Descours が購入。


現在はフランス南東部の街ヴィジーユVizille (Isèreイゼール県Grenobleグルノーブルから16km)
にあるフランス革命美術館 (Le Musée de la Révolution française) に保管されています。



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                   *地図はVizille市HPより拝借しました。



パリからグルノーブルまでTGV でおよそ3時間、Vizille までは3時間ちょいということになります。
こんな所にもアントワネットの肖像画があるんですねぇ... きっとまだまだ他にもあるのでしょうね...


美術館のHPアドレスを貼りたかったのですが、安全ではないとかかんとかで無理でした。
興味のある方は domaine-vizille.fr/391-les-collections.htm と入力してみて下さい。
その後 LES COLLECTIONS - Domaine de Vizille をクリックすると
この美術館の収蔵作品 (一部ですが) が見れます。
(上記の神々しいアントワネットは出て来ませんが)


ロベスピエールの胸像 (初めて見るロベスピエールでした) や第三身分とは...で
有名なシエイエスの剣などちょっと珍しいものを見ることができました。


本題 「王妃の髪を切ったのは」 に入ります。


前述のマリー・アントワネット展の図録に、上記の肖像画と共に載っていた一文に
目が止まりました。




" Rosalie lui coupa les cheveux pour que
le bourreau n'eût pas à le faire."

ロザリーが彼女(王妃)の髪を切ったので、死刑執行人は切る必要がなくなった。 


とあるではありませんか!




えっ?



ええっ!?



アントワネットの髪を切ったのは ロ、ロ、ロ、ロ、ロザリー だったの!!??



私はこれを読んで驚きました。
今の今まで死刑執行人サンソンがアントワネットの髪を切っていたと思っていました。


ロザリーにとって王妃への最後の奉公が、いつも自分が結っていた髪を切ることになるなんて
彼女の心中はいかばかりだったかと考えてしまいます。



だけど私は

アントワネット自身がロザリーに頼んだのではないか

と思っています。



死刑執行人や宣誓司祭を目にしても動じなかったアントワネットの心も
鋏を見た瞬間、現実に引き戻された感じがしたのではないでしょうか。


ロザリーには酷だけれど、彼女に切ってもらって死に支度を完成させたかったように思います。


髪に鋏を入れるロザリーと、ただじっと髪を切られているアントワネットの二人を想像すると
本当に悲しくなります。




刑場に向かうアントワネットの黒いドレス姿を描いた作品もありますが
実際には黒い喪服 (夫ルイ16世の喪に服していることが国民の反感を買う為)は
着替えさせられ、白いドレス姿で刑場へ向かいました。


ハミルトン氏の描いた白いドレスの王妃は彼の技量によるところですが
コントラストの大変美しい一枚に仕上がっています。


ロザリーが切ったと知ってから、この作品を見るにつけ
王妃の短くなった髪がより一層、痛々しく感じられてなりません。







参考図録 MARIE-ANTOINETTE  La Réunion des musées nationaux 刊
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# by pinkfleur | 2011-02-06 23:36 | アントワネット関連・人・事
2010年 12月 04日

嵐の前の静けさ


昨日は洗濯機で家が丸ごと洗濯されているかのような激しい雨でした。
ザブンザブンと窓を打ちつける雨はまるで嵐みたいと、眠気も吹っ飛んだ私でした。


フランス革命という嵐が吹き荒れる、革命勃発直前に
アントワネットを描いた小肖像画 (細密画) があります。


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" Marie-Antoinette et ses enfants au pied d'un arbre "

作者 フランソワ・デュモン

Musée du Louvre, département des Arts graphiques
ルーブル美術館 版画・素描閲覧室蔵  小肖像画 (細密画) 縦19.5cm 横14.3cm 材質:象牙

肖像画来歴 : David-Weill 氏の遺品 1937年ルーブル美術館入り




まさに嵐の前の静けさを表している作品です。
穏やかに微笑むアントワネット、愛しい子供たちと共に描かれています。


子供たちは長女マリー・テレーズ(マダム・ロワイヤル)と
次男の王太子ノルマンディー公ルイ・シャルル




私も大好きな作品のひとつです。




2008年パリ・グランパレで開かれたマリー・アントワネット展のカタログ
グザヴィエ・サルモン氏の解説によると


現在ルーブル美術館に保管されているこの小肖像画は
1789年、第一王太子ルイ・ジョゼフが亡くなった直後に描かれたもので
長男の死により、つらい思いをしていたにも拘わらず
王妃は子供たちと共にモデルを努めます。


母に甘えて抱きつく王太子
手をつなぐ母娘


作品は家庭的な温かさを打ち出し、母性の美徳を表していて
一種のマニフェスト的な役目を果たしている、とあります。


また作者フランソワ・デュモンの会計報告書には、この作品により
≪1790年1月29日200ルイの報酬を得た≫
との記載が認められるとのこと。




長男のルイ・ジョゼフが亡くなったのは1789年6月、三部会の最中
服装からも初夏とうかがえ、ひたひたと迫り来る革命 (7月) 直前の
最期の幸せ (すでに幸せではなかったとは思いますがこの先不幸になる一途だったことを
考えると) なひと時を切り取った貴重な一枚だと思います。


それにしてもアントワネットの優しいまなざし、なんて穏やかな表情でしょう!
なるほど確かに少し寂し気な感じはしますが
子供たちと一緒にいるアントワネットは本当に幸せそうです。


見ているこちらまでもが温かく優しい気持ちになります。


私はグランパレのアントワネット展に行ったとき
陳列ケースに入っていたこのわずか縦20cm 横15cm ほどの小さな細密画が
照明のせいもあるのでしょうが、光輝いていて
アントワネットが本当に幸せそうで
いつまでも見ていたくて、その場から離れ難かったほどでした。


彼女の肖像画の中でもここまで
後ろ髪をひかれた作品は初めてでした。




画像からはわかりづらいのですが
王女が木の幹に文字を彫っています。


≪ Soyez à tous leur mère. ≫

すべての(フランス人の)母であれ


国母であることを強調し、イメージの一新を図りたかった一文は
今となっては本当に虚しい限りです。
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# by pinkfleur | 2010-12-04 23:51 | アントワネット関連・人・事
2010年 11月 02日

マリー・アントワネットの誕生日 


今日はマリー・アントワネットの誕生日です。

- Le deux-cent-cinquante-cinquième anniversaire de la naissance de Marie-Antoinette -
生誕255周年です。


今から255年前の今日、11月2日午後7時30分
父フランツⅠ世と母マリア・テレジアの15番目の子供として
ここ、オーストリア・ウィーンのホーフブルク (Hofburg = ドイツ語で王宮) にて誕生しました。



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生まれた日の翌日、マリア・アントニア・ヨセファ・ヨハンナ (ドイツ語読み) と名付けられました。


マリア・テレジアの娘たちは聖母マリアにあやかり、ファーストネームは全員マリアです。


ちなみにフランス語読みだと、マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ です。 (周知のとおり)


マリア・テレジアとフランツⅠ世の間には16人の子供 (男子5人、女子11人) が生まれました。
うち、成人したのは男子4人、女子5人。


「子だくさん一家 (貧乏定説・ヤンキー多し) 」 番組なんぞを見ると
一日洗濯機は3回はまわす、お米は何キロ(?)炊くなど (どーでもいい)
そして食事中の風景はとても微笑ましいとはいえないような光景が
目に飛び込んできて、ゲンナリしていまいます。


比べるのもなんですが、天下のハプスブルク家
基本的に 「寝食」 そして洗濯(笑)の心配など皆無なわけですから (いいね)


「幸せなオーストリアよ。戦争は他国に任せ、汝は結婚せよ」


の言葉通り結婚政策により領土拡大を実現させていったハプスブルク家。
しかし、マリア・テレジアの両親が嫡男に恵まれなかったこともあり
二人は子作りに励んだというわけです。



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アントワネットが誕生した当時、彼女の兄姉たちには

マリア・アンナ (アントワネットより17歳上)
ヨーゼフⅡ世 (14歳上)
マリア・クリスティーネ (13歳上)
マリア・エリーザベト (12歳上)
カール・ヨーゼフ (10歳上、アントワネットが6歳のときに死亡
マリア・アマーリア (9歳上)
レオポルトⅡ世 (8歳上)
マリア・ヨハンナ・ガブリエーレ (5歳上、アントワネットが7歳のときに死亡
マリア・ヨーゼファ (4歳上、アントワネット12歳のときに死亡
マリア・カロリーネ (3歳上)
フェルディナント (1歳上)

がいましたが、彼女が生まれた1年後には弟マクシミリアンが誕生しています。



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アントワネットが最も親しかったといわれる3歳上のマリア・カロリーネ、
彼女はナポリに嫁ぎ、ナポリ・シチリア王妃になるわけですが
そもそもカロリーネはルイ16世のお妃候補と考えられていたようです。


ナポリ王妃候補には、8女のガブリエーレが予定されていました。
がしかし病気で亡くなり、9女のヨーゼファがその代わりとなるところでしたが
彼女も早折したためカロリーネに回ってきた、ということです。


そうしてアントワネットはルイ16世妃となったのでした。



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アントワネットは、子供の頃 「アントーニア」 または 「トワネッテ」
はたまたフランス語風に 「トワネット」 と呼ばれていたようです。



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「トワネット」 時代、彼女は年齢の近かった兄弟たちと
ホーフブルクやシェーンブルンで過ごしました。



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アントワネットも間違いなくここに立ったであろう、そして眺めたであろうという景色を前にするといつもいいようのない思いに捕われる私です。



そしてルイ16世との結婚が決まると
アントワネットのフランス語上達のため、宮廷内は母国語であるドイツ語は禁止となり
彼女はフランス語読みで 「アントワネット」 と呼ばれるようになりました。



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ここも走り回ったのかな??



アントニアからアントワネットとなり
14歳半でフランスへ嫁いだ彼女は
オーストリアで過ごした幸せな幼少時代を忘れることなく
プチ・トリアノンの庭園は彼女にとって
思い出深い景観に仕上がっています。


亡くなったお姉さんたちが生きていたら
アントワネットの人生は違ったものになったのだろうなあ
そうすると私はここまでアントワネットを好きになることは
なかったかもしれないな、とついつい考えてしまいます。



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写真はすべて2008年5月のオーストリア旅行時のもの ♡



アントワネットはここで生まれ、ここからフランスへ旅立ったんだなぁと
撮った写真を眺めながらしみじみした彼女の誕生日でした。








参考文献  「ロココの花嫁 マリー・アントワネット ベルサイユへの旅路」
         ケーラー・鹿子木美恵子著  叢文社


        「Trianon : le domaine privé de MARIE-ANTOINETTE(仏語)」  
        Christian Duvernois 著 François Halard 写真  ACTES SUD 社

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# by pinkfleur | 2010-11-02 19:30 | アントワネット関連・人・事
2010年 10月 16日

マリー・アントワネットの命日  - L'anniversaire de la mort de Marie-Antoinette -


1793年の今日10月16日、マリー・アントワネットがコンコルド広場にて処刑されました。



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処刑場である革命広場(現コンコルド広場)に向かうアントワネット  生涯最後となった肖像画

ナポレオンの戴冠式などで知られる画家 「ジャック・ルイ・ダヴィッド」 によるアントワネットのスケッチ
ルーブル美術館蔵 (版画・素描閲覧室 ロッチルド (ロスチャイルド)コレクション) *見学要予約



2008年パリ・グランパレでのマリー・アントワネット展で観ましたが
想像していたよりもずっと小さく、本当に紙切れに描かれたもの、といった感じでした。



午前11時、アントワネットを乗せた荷馬車 (家畜運搬車、ルイ16世の時は馬車だった) は
コンシェルジュリを出発、一路革命広場へ



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彼女を運んだサン・トノレ通り (rue Saint-Honoré)



パリに来てこの辺りを歩くたびにアントワネットが通った、しかも荷台で・・・
ということがついつい頭をかすめる私です。(苦笑)



詰めかけた群衆からの罵声や野次にひるむこともなく堂々としていたというのは
背筋を真っ直ぐにしたダヴィッドのスケッチからも真実であったことが伺えます。



サン・トノレ通りにあるサン・ロッシュ教会 (église Saint-Roch) には
ヴェルサイユの庭園を設計した 「ル・ノートル」 が眠っています。



宮殿の王妃の部屋からも望めた庭園、彼女が散歩した庭園、その庭園の設計者が眠る教会の前を
ブルボン家最後 (ヴェルサイユ最後) の王妃となった彼女が死路へと通ることになるなど
誰が想像したでしょう。



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彼女だけではなくここを大勢の処刑人たちが通り、見物人たちが沿道を埋め尽くしていた、
そんな悲しい歴史が刻まれているとは、観光客でにぎわう現在からは想像もできません。



ダヴィッドがスケッチしたのはどこなんだろう、とツヴァイクのマリー・アントワネットを
読み返していたら 「カフェ・ド・ラ・レジャンス」 の名が・・・



パソコンでいろいろ検索していくうちに発見。
Café de la Régence カフェ・ド・ラ・レジャンス
wiki fr. によると、1681年から1910年まで飲食店として機能していたとのこと。
わ~すごいなー・・・ 17世紀後半から20世紀前半・・・
現在ではモロッコ政府観光局になっていました。 びっくり~!



さらに住所を調べてみると、ハッ!この辺りはしょちゅう来ていた所だと判明!



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花まる印が、Café de la Régence のあった建物です。
ストリートビューで見ると MAROC(モロッコ)の文字が確認できます。
左隣はハーゲンダッツ、さらにその左は Café Ruc (ここにも何度か足を運んだな... )



知らず知らずにこの建物をバックに写真を撮っていました・・・。
昨年の夏、旅行した時の写真です。 ちなみにルーブルも後ろに写っています。
サン・トノレの写真も同時期の写真。
確か7月14日で、ことごとくお店がお休み。
トホホな気分でサン・トノレを歩いたのでした。 



ああ、ここだったなんて、この建物の窓からダヴィッドがスケッチしたんですね。
最後のアントワネットを。




アントワネットを乗せた馬車はゆっくりサン・トノレ通りを進み
ロワイヤル通り (rue Royal) に出てきます。

*ロワイヤル通りを挟んだ向かい側からフォーブル・サントノレ通り (rue Faubourg Saint Honoré) となります。
Faubourg とは市外という意味でその名の示す通り、当時のパリは
ロワイヤル通りを境に向こう側 (フォーブル・サントノレ) が市外でした。

フォーブル・サントノレはハイブランドのショップストリートで
さらに先を進むと大統領官邸 「エリゼ宮」 が左手に見えてきます。



そしてロワイヤル通りを左折、ここから革命広場へは一直線。
12時15分マリー・アントワネットはギロチンの露と消えました。
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# by pinkfleur | 2010-10-16 12:30 | アントワネット関連・人・事
2010年 10月 06日

さようならヴェルサイユ


1789年10月6日早朝、ルイ16世一家が姿を現したバルコニー。


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前日5日、女性を中心にしたパリの民衆がヴェルサイユ宮殿に押し寄せる。(ヴェルサイユ行進)

彼らの目的は「国王一家」を一人残らずパリへ連れ帰ること。

6日明け方暴徒と化した民衆に宮殿を占領され、大理石の内庭に面した王のバルコニーに立ち

彼らに姿を見せるルイ16世。




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ルイ16世に続き、王妃もバルコニーに出ることを要求される。

王女マリー・テレーズと王太子ルイ・シャルルの手を引きバルコニーに出ようとすると

民衆の「子供はいらない!」という叫びに、ひとりバルコニーに立つ王妃。



国民衛兵隊司令官ラ・ファイエットがアントワネットの手にキスをし敬意を表したことで

自然と民衆から「王妃万歳!」の声が上がったといわれている。




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実際窓にギリギリまで寄ってバルコニーを見ましたが、思っていた以上に奥行きは狭い。
銃弾が飛んでくるかもしれなかったのに、ひとりで立ったなんて怖かっただろうな・・・。





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歴代国王ルイのモノグラム  修復されているとはわかっているけど、美しい。
この時も宮殿のあちこちで修復が行われていました。





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前日の雨から一転、皮肉な程の秋晴れの中、午後2時(ルイ16世の日記には午後12時半)

民衆に屈した国王一家は宮殿を後にしパリへと出発します。



そして二度とヴェルサイユに戻ることはありませんでした。




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ヴェルサイユを去るとき、アントワネットの胸に去来したものは何だったのでしょうか。

宮殿だけではなく、前日過ごしたプチ・トリアノンが生涯最後の日になると

ひょっとするとそういう予感がしていたのかもしれません。




写真はすべて2008年10月撮影




参考文献 : 「マリー・アントワネット」シュテファン・ツヴァイク著・中野京子訳 角川文庫
       「Memoirs of The Court of Marie Antoinette, Queen of France」 Madame Campan
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# by pinkfleur | 2010-10-06 23:35 | ヴェルサイユ宮殿
2010年 09月 30日

雨の日のランチ


今日のランチでした。


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・・・と言いたいところですが、2年前の秋のパリでのランチです。

この時のパリ旅行は、秋雨のパリ、雨に煙るパリ・・・

などという言葉がぴったりなくらい、雨がよく降りました。



雨が降るといつも思い出すのが、このランチをいただいた日のこと。

しとしと降る雨の中、歩いた街の景色や、傘に当たる雨音が蘇って来ます。



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当初ガイドブックで見つけて、一度行ってみたかったスープのお店 (ここ ↑ )を

訪ねたところ、すでに全スープが売り切れ状態。

えぇ~~~っと残念がる私に、店員さんが申し訳なさそうに

空っぽになったズン胴(鍋)を私に見せてくれたのですが

私にとっては 「傷に塩」 状態・・・。 

・・・いつか行ってみたいお店です。



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泣く泣く出たスープバー

壁の左側、パックマン?



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もうこうなったらとにかくスープ!絶対スープ!

スープで頭を一杯にして、寒さと空腹に震えながら

歩くうちに見つけた一軒のカフェ。

トップの写真のランチにありつけたのでした。

スープだけだと物足りないしってことで2品頼んだ次第。

ちょっと量が多くなってしまったけど (私旅行中はしっかり食べるタイプ)

でも、と~~ってもおいしかったです。



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若いムッシューもとっても親切で、身も心も温まったランチでした。
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# by pinkfleur | 2010-09-30 23:48 | パリ
2010年 09月 18日

ウフィツィ美術館 自画像コレクション展


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                 マリー・アントワネットを描くエリザベト・ヴィジェ=ルブラン夫人(自画像) 1790年 フィレンツェにて
                 (リビングに飾ってます ^^ )



先日ウフィツィ美術館・自画像コレクション展に行ってきました。
お目当てはもちろん、マリー・アントワネットのお抱え画家
「エリザベト・ヴィジェ=ルブラン夫人」の自画像です。


ウフィツィ美術館というと、レオナルド・ダヴィンチの「受胎告知」や
ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」がよく知られていますが


今回日本にやって来たウフィツィ美術館収蔵の自画像コレクションは
ウフィツィ美術館と対岸のピッティ宮殿を結ぶ
設計者の名を冠したヴァザーリの回廊(ヴェッキオ橋の上)に収蔵されています。


ヴァザーリの回廊は一般公開されていないため見学するには予約が必要だそうです。


今年の春、母がウフィツィ美術館に行ってきました。
私もイタリア旅行に誘われましたが行けませんでした!
母達はヴァザーリの回廊には行っていませんが、ヴェッキオ橋からの風景を
堪能してきたんだと思うとうらやましい。
ああ、いつかフィレンツェに行きたい!


レンブラント、アングル、シャガール、藤田嗣治などなど
時代や国籍を超えた画家たちの姿が目の前に。


アングルは私が好きなダヴィッド(処刑場に向かうアントワネットを描いた画家)の弟子です。
ほ~、アングルはん、ボンジュール… なんてつぶやいてしまいました。


それにしてもなかなかユニークな美術展です。


画家の描く自分の姿ほど面白いものはありません。


「どんな気持ちで自画像を描いたのだろう」 と
そんなことを考えながら、それぞれの肖像画を前に
(いつものことながら) 時間を忘れ、見入ってしまいました。


そして今回ウフィツィ美術館入りすることになった
草間弥生、横尾忠則、杉本博司の自画像作品が展示されていました。


横尾氏の作品は絵ではなくマスクでした。
まるで本人が本当にそこにいるかのような感じでした。(ドッキリみたいな)


「もうすぐイタリアに行っちゃうんだね」
日本を離れてフィレンツェに行ってしまう3作品を前に
ちょっと寂しい気持ち。



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チケットやポスターにもなっているヴィジェ=ルブラン夫人の肖像画は
フランス革命から逃れたルブラン夫人が
1790年トスカーナ大国(現イタリア・トスカーナ州)フィレンツェに滞在中
マリー・アントワネットの兄であるトスカーナ大公レオポルトⅠ世(当時)
からの依頼により描かれたもの。


作品中のキャンバスには「マリー・アントワネット」が描かれています。


1755年生まれの彼女はアントワネットと同い年。
この肖像画が描かれたのは1790年ですから、この時35歳。
どう見ても10代~20代前半にしか見えませんねぇ…。


人物を柔らかく愛らしく、そして突き抜けるほどの透明感をもって描く彼女の筆致。
ヨーロッパ宮廷の貴婦人たちから熱烈に愛されたというのもうなずけます。


私も描いてほしい。


誕生日がルブラン夫人と同じ私は勝手に親近感を持っています。


私が注目したのは彼女の指です。
アントワネットのような白魚のような細く美しい指ではなく
意外に親指がしっかりしているなと感じました。


根拠はありませんがこれは正直に描いている、と思いました。


目の周りのクマなのか、色白なためから血管が浮いて見えるのか
その辺りも精密に描かれていて、手を伸ばして触りたい衝動に駆られました。


久しぶりに彼女の作品を間近で鑑賞することができて本当にうれしかったです。



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こちらはルーブル美術館を訪れた時のもの。 娘ルーシーと一緒のルブラン夫人。
二人ともべっぴんさんです。



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この日は画家本人たちと会って話してきたかのような気持ちになり家路につきました。
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# by pinkfleur | 2010-09-18 00:08
2010年 09月 05日

ヴェルサイユ わが愛


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             2008年10月撮影



今月9月14日から12月12日までヴェルサイユ宮殿で開かれる村上隆氏の作品展がフランスで物議を醸しています。



村上氏の作品にはひわいなものが多くヴェルサイユ宮殿には似つかわしくないと、「反対」運動が起こっているようです。



詳しくはこちら AFP BBNews 「ベルサイユ宮を冒とく」、村上隆氏作品展に反対運動
または Rue89Japon <開催前から議論を巻き起こす村上隆のヴェルサイユ宮殿での現代アート展>



コンサバチームは猛反対の模様。 やっぱり。案の定。



' Versailles Mon Amour ' (ヴェルサイユわが愛) という団体の HP を見ると
怒り心頭で反対している様子がひしひしと伝わってきます。



現在も署名を集めていて、先程 HP をチェックしたところ(笑)
9月3日午前1時の時点で 4020 の署名が集まっているようでした。
9月14日にはヴェルサイユに集まって再び署名運動をするつもりで呼びかけています。




こちらの HP のトップ、いきなり目に飛び込んでくるのが ↓ 

Murakami et Cie n’ont rien à faire au château de Versailles !

村上とその会社はヴェルサイユで何もすることなんかない! という文章。
さらに村上の作品展の中止を要求する、とも書いてありました。




私は2008年の秋、同じように論争を呼んだ Jeff Koons 展開催中にヴェルサイユ宮殿を訪れました。
(本当なら避けたいところでしたが・・・)



私は「なんで?」「じゃまなだけ、見えにくい」「他でやってほしかった」



正直、冒涜、とまではいかないけれどそれに近い感情を持ち、不愉快でした。
変な物は何もない、見えない見えない、なんて自分に言い聞かせて(笑)歩きました。
写真を撮るのも一苦労でした。



ヴェルサイユ宮殿は今は 「ヴェルサイユ宮殿美術館」 として機能しています。



美術館である以上、作品展を開くのは当たり前のことですが



宮殿そのものもアートである以上、その宮殿というアートを純粋に愉しみたい人にはどうなのか。



こういう試み(コンサバと現代アート?)ミクスチャアはそのうち普通になっていくのでしょうか?



ただ、こうして論争が巻き起こっていること自体がすでに「成功」していることなのかもしれません。主催者側にとっては。



宮殿維持保存には莫大な金額がかかるのでしょうが、Rue89フランス版によると
今回の作品展はカタール国が200万ユーロを出資しているということで、



ヴェルサイユわが愛の会から
NON ! A l'art financier ! 金融アート!と揶揄されてもしかたないのかもしれませんねぇ...。




注)私はヴェルサイユわが愛には属しておりません。




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             2008年10月撮影



あくまでもフリーでヴェルサイユを愛してゆくつもりです。
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# by pinkfleur | 2010-09-05 20:10 | ヴェルサイユ宮殿