ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~                         

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2010年 10月 16日

マリー・アントワネットの命日  - L'anniversaire de la mort de Marie-Antoinette -


1793年の今日10月16日、マリー・アントワネットがコンコルド広場にて処刑されました。



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処刑場である革命広場(現コンコルド広場)に向かうアントワネット  生涯最後となった肖像画

ナポレオンの戴冠式などで知られる画家 「ジャック・ルイ・ダヴィッド」 によるアントワネットのスケッチ
ルーブル美術館蔵 (版画・素描閲覧室 ロッチルド (ロスチャイルド)コレクション) *見学要予約



2008年パリ・グランパレでのマリー・アントワネット展で観ましたが
想像していたよりもずっと小さく、本当に紙切れに描かれたもの、といった感じでした。



午前11時、アントワネットを乗せた荷馬車 (家畜運搬車、ルイ16世の時は馬車だった) は
コンシェルジュリを出発、一路革命広場へ



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彼女を運んだサン・トノレ通り (rue Saint-Honoré)



パリに来てこの辺りを歩くたびにアントワネットが通った、しかも荷台で・・・
ということがついつい頭をかすめる私です。(苦笑)



詰めかけた群衆からの罵声や野次にひるむこともなく堂々としていたというのは
背筋を真っ直ぐにしたダヴィッドのスケッチからも真実であったことが伺えます。



サン・トノレ通りにあるサン・ロッシュ教会 (église Saint-Roch) には
ヴェルサイユの庭園を設計した 「ル・ノートル」 が眠っています。



宮殿の王妃の部屋からも望めた庭園、彼女が散歩した庭園、その庭園の設計者が眠る教会の前を
ブルボン家最後 (ヴェルサイユ最後) の王妃となった彼女が死路へと通ることになるなど
誰が想像したでしょう。



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彼女だけではなくここを大勢の処刑人たちが通り、見物人たちが沿道を埋め尽くしていた、
そんな悲しい歴史が刻まれているとは、観光客でにぎわう現在からは想像もできません。



ダヴィッドがスケッチしたのはどこなんだろう、とツヴァイクのマリー・アントワネットを
読み返していたら 「カフェ・ド・ラ・レジャンス」 の名が・・・



パソコンでいろいろ検索していくうちに発見。
Café de la Régence カフェ・ド・ラ・レジャンス
wiki fr. によると、1681年から1910年まで飲食店として機能していたとのこと。
わ~すごいなー・・・ 17世紀後半から20世紀前半・・・
現在ではモロッコ政府観光局になっていました。 びっくり~!



さらに住所を調べてみると、ハッ!この辺りはしょちゅう来ていた所だと判明!



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花まる印が、Café de la Régence のあった建物です。
ストリートビューで見ると MAROC(モロッコ)の文字が確認できます。
左隣はハーゲンダッツ、さらにその左は Café Ruc (ここにも何度か足を運んだな... )



知らず知らずにこの建物をバックに写真を撮っていました・・・。
昨年の夏、旅行した時の写真です。 ちなみにルーブルも後ろに写っています。
サン・トノレの写真も同時期の写真。
確か7月14日で、ことごとくお店がお休み。
トホホな気分でサン・トノレを歩いたのでした。 



ああ、ここだったなんて、この建物の窓からダヴィッドがスケッチしたんですね。
最後のアントワネットを。




アントワネットを乗せた馬車はゆっくりサン・トノレ通りを進み
ロワイヤル通り (rue Royal) に出てきます。

*ロワイヤル通りを挟んだ向かい側からフォーブル・サントノレ通り (rue Faubourg Saint Honoré) となります。
Faubourg とは市外という意味でその名の示す通り、当時のパリは
ロワイヤル通りを境に向こう側 (フォーブル・サントノレ) が市外でした。

フォーブル・サントノレはハイブランドのショップストリートで
さらに先を進むと大統領官邸 「エリゼ宮」 が左手に見えてきます。



そしてロワイヤル通りを左折、ここから革命広場へは一直線。
12時15分マリー・アントワネットはギロチンの露と消えました。
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by pinkfleur | 2010-10-16 12:30 | アントワネット関連・人・事
2010年 10月 06日

さようならヴェルサイユ


1789年10月6日早朝、ルイ16世一家が姿を現したバルコニー。


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前日5日、女性を中心にしたパリの民衆がヴェルサイユ宮殿に押し寄せる。(ヴェルサイユ行進)

彼らの目的は「国王一家」を一人残らずパリへ連れ帰ること。

6日明け方暴徒と化した民衆に宮殿を占領され、大理石の内庭に面した王のバルコニーに立ち

彼らに姿を見せるルイ16世。




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ルイ16世に続き、王妃もバルコニーに出ることを要求される。

王女マリー・テレーズと王太子ルイ・シャルルの手を引きバルコニーに出ようとすると

民衆の「子供はいらない!」という叫びに、ひとりバルコニーに立つ王妃。



国民衛兵隊司令官ラ・ファイエットがアントワネットの手にキスをし敬意を表したことで

自然と民衆から「王妃万歳!」の声が上がったといわれている。




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実際窓にギリギリまで寄ってバルコニーを見ましたが、思っていた以上に奥行きは狭い。
銃弾が飛んでくるかもしれなかったのに、ひとりで立ったなんて怖かっただろうな・・・。





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歴代国王ルイのモノグラム  修復されているとはわかっているけど、美しい。
この時も宮殿のあちこちで修復が行われていました。





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前日の雨から一転、皮肉な程の秋晴れの中、午後2時(ルイ16世の日記には午後12時半)

民衆に屈した国王一家は宮殿を後にしパリへと出発します。



そして二度とヴェルサイユに戻ることはありませんでした。




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ヴェルサイユを去るとき、アントワネットの胸に去来したものは何だったのでしょうか。

宮殿だけではなく、前日過ごしたプチ・トリアノンが生涯最後の日になると

ひょっとするとそういう予感がしていたのかもしれません。




写真はすべて2008年10月撮影




参考文献 : 「マリー・アントワネット」シュテファン・ツヴァイク著・中野京子訳 角川文庫
       「Memoirs of The Court of Marie Antoinette, Queen of France」 Madame Campan
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by pinkfleur | 2010-10-06 23:35 | ヴェルサイユ宮殿