ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~                         

fleurpink.exblog.jp
ブログトップ

<   2010年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧


2010年 04月 30日

4月生まれの画家 1


マリー・アントワネットお気に入りの画家
エリザベト・ヴィジェ・ルブラン夫人と誕生日が同じということから
では他に4月生まれの画家はいないのかなと探してみました。


ふふ、結構いましたね。


もう4月終わりですよ!というツッコミ大歓迎でございます。


e0190118_22572158.jpg


画家の自画像といわれる作品  1777年頃


画家の名はジャン・オノレ・フラゴナール


1732年4月5日 - 1806年8月22日 南フランス、グラス出身

18世紀ロココ美術最盛期~末期の画家
フランソワ・ブーシェに師事。 ローマに5年間留学していたそうです。


e0190118_2257592.jpg


こちらの絵はご存知の方も多いのではないでしょうか?


「閂(かんぬき)」  1778年頃  


いやはや、何ともな一枚です。女性は本当に嫌なのでしょうか。
しかしハッと目を奪われます。何度かルーブルで見た・・・はず。
上記の自画像からはその作風が読み取れませんが。


e0190118_225894.jpg


「目隠し鬼」  1748年-1752年頃


貴族の遊びのひとつだった目隠し鬼ごっこ 
マリー・アントワネットも若い頃この遊戯を楽しんでいたそうです。


彼の描くテーマは下品になりかねないものを、彼独特の優しい
筆致でそれらを肯定的に描いている・・・と思います。
ゆえに彼の作品には官能的、甘美といった形容詞が
ついてまわるのかもしれません。


若い頃、ブーシェに師事していたため雰囲気がやっぱり似ている。
私、初めどっちがどっちかわかりませんでした。(恥)


e0190118_22573918.jpg


ロココの象徴画ともいえる作品 「ぶらんこの絶好のチャンス」  1767年頃


ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人からも作品を依頼されています。



e0190118_22582039.jpg





若き日のフラゴナール 









フランス革命期も生き延びたロココの画家は74歳でパリで没します。
[PR]

by pinkfleur | 2010-04-30 23:57
2010年 04月 28日

サン・ドニ大聖堂 - La Basilique cathédrale royale de Saint-Denis -


昨日からの雨が、いまだしとしとと降り続いています。

雨の中マリー・アントワネットの眠る
「サン・ドニ大聖堂」に行ったことを思い出しました。

e0190118_1873015.jpg

ゴシック建築の原型ともいわれるサン・ドニ大聖堂
その名は守護聖人、聖ドニに由来します。


ここサン・ドニ大聖堂にはフランス王家の霊廟があり
フランス革命時暴かれましたが、革命後に修復
王族の遺骨や歴代国王の心臓などが納められています。


1815年1月21日、ルイ16世の22回目の命日に
マドレーヌ墓地で発掘されたルイ16世と
マリー・アントワネットの遺体はここサン・ドニに埋葬されました。


2000年4月DNA鑑定によりルイ17世と証明された
ルイ・シャルルの小さな心臓もここに納められています。


-2008年パリ旅行第9日目-


2008年11月1日土曜日の朝、私はこの日
ヴェルサイユに行くかサン・ドニに行くか
正直決めかねていました。
雨のヴェルサイユに気乗りしなかったからです。


帰国日は火曜日。
あともう一度ヴェルサイユに行っておきたかった私。
月曜日は宮殿が休み、となると今日の土曜日か日曜日。


いつ何があるかわからないフランス。急なストもあり得る。
やっぱり今日しかないと思いながらも
モヤモヤ感いっぱいの心持でアパルトマンを出発
秋雨に震えながらRER・C線 Pont-de l’Alma 駅に
向かいました。


この駅からヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュへは乗り換えなしで
約20分ちょいぐらいで着いてしまいます。非常に便利です。


しかしこの駅で切符を買うのは要注意です。
改札がある地下には切符売り場がありません(2008年の話ですが)。
下まで降りてから、また階段を昇るはめになります。


切符は地上のほったて小屋のような建物の有人切符販売所か
もしくは同じく地上にある自動券売機で購入します。


チケットとヴェルサイユ宮殿の入場券がセットになった「フォルフェ」
(*現在は販売されていません)を購入しようと、ほったて小屋に。


中は窓口にでんと座った無愛想なSNCF女性職員がひとり。
他にお客さんはいません。


私 「ボンジュール。ヴェルサイユへ行きたいので一人分のフォルフェ シルヴプレ」

パリジェンヌ 「明日の第一日曜日は入場無料だから行くなら明日にしたら?」


微妙な彼女の提案に、モヤモヤが吹き飛び心が定まりました。
そうだった、第一日曜日は入場料無料! ← そこ?! 
万が一、明日ストが起こっても月曜日に庭園に入れればいい。


私 「わかった!明日にするわ。ありがとう。オヴァ(さよなら)」

パ 「オヴァ~!」


行き先をサン・ドニに変更!
メトロ路線図を眺め、ちょっと歩くけどアンヴァリッド駅からなら
サン・ドニ駅までメトロで一本、ということで
メトロ13号線アンヴァリッド駅へ(・・・かなり歩きました)。

e0190118_18144469.jpg

歩きながらナポレオンが眠る「アンヴァリッド」を
遠くに拝みます。


電車に揺られること30分程で Basilique de St-Denis 駅に到着。
終点 ST-DENIS UNIVERSITÉ のひとつ手前です。


サン・ドニはサッカーのサン・ドニスタジアムがあり
移民も多く住むパリ郊外北部の工業都市。


マリー・アントワネットに興味のある人が訪れる場所というのは

ヴェルサイユ宮殿
コンコルド広場&チュイルリー庭園
コンシェルジュリ  

といった所でしょうか。


しかしサン・ドニ大聖堂は、彼女を偲ぶ場所としては
足が遠のいてしまっているような気がします。


マリー・アントワネット本人が眠っているのに!


ガイドブックにもよりますが王家の霊廟の説明が
なかったりして今ひとつ認知度が低いことと
メトロが走っているのに「郊外」ということも関係がありそうです。


かくいう私もサンラザール駅を過ぎたあたりから
車内に黒人が増え始めたため、緊張が走り
前回25歳で訪問した時よりも(何年前だ??)
サン・ドニ駅で降りた途端、黒人の多さに
移民が増えていると確信した次第です。


それはさておき
サン・ドニ大聖堂は教会であり墓所であるわけですから
神聖な場所とわきまえなければなりません。

e0190118_1819485.jpg

大聖堂内。 ああ、こんなだったっけ・・・。
何せ何年も前のことなので記憶が薄れています。


以前は目もくれなかったアンリ2世やカトリーヌ・メディシスなど
歴代国王・王妃らを模った彫像が並んでいますが
お墓といった感じはしません。

e0190118_18392534.jpg


e0190118_1840293.jpg


e0190118_18403920.jpg

ブルボン家の紋章 ユリの花


e0190118_18273913.jpg

ルイ16世とマリー・アントワネット像


そして地下へ


前回と同じようにマリー・アントワネットや
ルイ16世のお墓の前で手を合わせました。
躊躇しながらもごめんなさいと、写真を撮ってしまいました。


今回の目的はルイ17世の墓碑に手を合わせること。


2つのかわいらしい子供の彫像が向かいあっています。

e0190118_1849944.jpg

ルイ17世(享年10歳)の墓碑と


e0190118_18493937.jpg

彼の兄ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ(享年7歳)の墓碑です。
アントワネットとルイ16世の長男です。


ルイ17世の墓碑の下には彼を証明することになった
大切な心臓が納めらていました。


世界中から手を合わせに来る人が絶えません。


私もあちらこちらでたくさん手を合わせ、祈り
そしてまた来ます、とサン・ドニを後にしました。

e0190118_18302765.jpg

-2008年パリ旅行記 9日目 終-



雨が降ると、サン・ドニ大聖堂の情景を
思い出すようになってしまったぐらい
雨に煙る聖堂は美しかったです。




サン・ドニ大聖堂(サイトはこちら・日本語あり)
メトロ13号線 Basilique de St-Denis 駅下車

 
[PR]

by pinkfleur | 2010-04-28 19:10 | パリ
2010年 04月 22日

マルゼルブ通り


パリのマルゼルブ通りをご存知でしょうか。

e0190118_23153638.jpg


e0190118_23162598.jpg
         
マルゼルブ通り (2008年4月訪問時撮影) 
奥に見えるのは聖オーギュスタン教会(仏語読みだとサントーギュスタン教会)
Église Saint-Augustin
                   

マドレーヌ寺院から北西にサントーギュスタン教会を経て
メトロ3号線マルゼルブ駅まで延びている大きな通りです。


この通りの名は、革命政府による国王ルイ16世の裁判において
国王の弁護を務めた「マルゼルブ氏」にちなんで名付けられました。



フランス革命当時の1794年、216年前の今日4月22日
マルゼルブ通りの由来となった人物、
クレチアン=ギョーム・ラモワニョン・ド・マルゼルブが
コンコルド広場の断頭台で72年の生涯を閉じました。


この日マルゼルブは、長女アントワネット・テレーズ・マルグリットと
その娘(マルゼルブの孫)アリーヌ・テレーズとその夫シャトーブリアン
(作家シャトーブリアンの兄)と共に処刑されました。
反革命文書を隠匿していたという罪で。


しかもマルゼルブは彼等(娘、娘夫婦)の処刑を見届けさせられ
最後に断頭台に登ります。 ・・・想像するに堪えません。


その二日前には長女アントワネットの夫ロザンボが
そして5月10日にはマルゼルブの姉セノザン夫人アンヌ・ニコルが
ルイ16世の妹マダム・エリザベトと共に断頭台の露と消えました。



マルゼルブの存在を知ったのは今から十数年前「ルイ16世幽囚記」を読んで。


すでに隠居生活を送っていたマルゼルブは
ルイ16世の裁判が行われることを知ると、自ら国民公会に手紙を書き送り
国王の弁護を申し出、弁護人となりました。


私はルイ16世にこういう人がいてよかったなぁなどとのん気に思っただけで
マルゼルブのその後が特に気になったわけではありませんでした。



その後、今から数年前、書店でパリの「通り」を紹介していたガイドブックを手にし
マルゼルブの名にちなんだ通りがあるということを知りました。


さらに我が目を疑いたくなるような事が記されていて愕然としました。


マルゼルブ本人と、そして彼の家族までもがギロチンの刑に処され
革命の犠牲者となったとあるのです。


王党派とみなされ処刑されたのです!


その後、国王の弁護という危険な任務を恐れず命を賭した彼を称えた
「マルゼルブ通り」が誕生したのでした。マルゼルブ駅も同様です。
 

ショッキングな事実に革命の恐ろしさを再認識したような
そんな思いで一杯になりました。


そして今度パリに行ったら、必ずマルゼルブ通りを歩こうと誓い
実践した次第です。


さらに彼について知りたいと読んだ本
「木崎喜代治著 マルゼルブ フランス十八世紀の一貴族の肖像」
マルゼルブが単なる王党派ではなかったことがわかった一冊です。



マルゼルブは1721年12月6日
フランスの法服貴族の名門ラモワニョン家の5人目の子供としてパリで誕生。


17、8世紀の貴族の館が多く残るマレ地区に私は渡仏の際、必ず訪れます。
カルナヴァレ博物館などがありますし、またこの界隈はおしゃれです。


このカルナヴァレ博物館とフランブルジョワ通りを隔てた彼の生家は現存し
現在ではパリ歴史図書館となっています。 


それがこちらです。 通称ラモワニョン館。

e0190118_23483626.jpg
(2008年10月訪問時)

e0190118_23485550.jpg


e0190118_23496100.jpg


e0190118_23491641.jpg


e0190118_2349302.jpg


マルゼルブはルイ15世の治世下で、出版統制局長、租税法院院長
そしてルイ16世の下では、二度大臣職に就いています。


彼は王党派ではなく民主主義を訴えた反権力側の人間でした。


出版統制局長時代は、革命的思想の啓蒙思想家たち
ヴォルテール、ルソー、ディドロなどの著作物に出版許可を出し
彼のもとで刊行されています。


*皮肉にもマリー・アントワネットもルソーの自然回帰主義に
影響を受けます。


そして租税法院院長として、税制度の改革や絶対王政を批判し
特にルイ15世からは疎まれています。


重税に苦しむ国民と財政難の国家再建のため
王政の抜本的改革を唱え続けたマルゼルブ。


果たして彼の尽力は実を結ばないまま革命は起こり
ルイ16世の裁判では、彼をよく知る自分が弁護するべきであると
そしてすでに国王ではない一市民であったからこそルイ16世の
弁護を引き受けたのではないかと、私にはそう思われます。


亡命中のルイ16世の弟プロヴァンス伯からの呼び寄せに応じず
マリー・アントワネットや王妹エリザベトの弁護をも
引き受ける心づもりいたマルゼルブ。


王の弁護人を尊敬し褒め称える風潮をおそれた
革命政府はマルゼルブを、真の国民の味方を抹殺してしまいます。



マルゼルブ一家が逮捕された際、一家の逮捕に納得のいかない住民たちは
護送車の後を追ったそうで、彼がいかに好かれていたことがわかります。


また牢獄内では自分よりもっと年寄りに自分の部屋を譲ったりなど
心根の優しい人でした。



刑場に向かうためコンシェルジュリから出る時
つまずいて倒れそうになったマルゼルブが最期に言ったとされる言葉


「悪い前兆だ。ローマ人だったら引き返すのに。」



引き返すさずに前に進んだマルゼルブ 革命政府は彼の何を恐れたのでしょうか。

e0190118_23533742.jpg

Chretien-Guillaume de Lamoignon de Malesherbes1721年12月6日-1794年4月22日



ラモワニョン館 パリ市歴史図書館
Hôtel de Lamoignon - Bibliothèque Historique de la Ville de Paris -
24 rue Pavée, Paris 75004 Paris
[PR]

by pinkfleur | 2010-04-22 23:58 | パリ