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2009年 12月 30日

マリー・テレーズ - Marie-Thérèse Charlotte dite Madame Royal - 

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Marie-Thérèse Charlotte dite Madame Royal

1778年12月19日 - 1851年10月19日

マリー・テレーズ、またの名をマダム・ロワイヤル 1786年、彼女が8歳頃の作品です。


こちらの肖像画を、昨年パリのグランパレで開かれた「マリー・アントワネット展」で見て来ました。


この肖像画と対峙した時は、感無量でした・・・。


その時購入した図録から、撮影。


彼女はマリーアントワネットとルイ16世の長女です。ルイ16世一家の中で、唯一生き延びました。


ルイ16世の末弟アルトワ伯爵(後のシャルル10世)の長男アングレーム公爵と結婚し、アングレーム公爵夫人となります。


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櫻井郁恵さんの翻訳「マリー・テレーズ」発売ほぼ同時に、書店に買いに行きました。(走ったと言っても過言ではありません・笑)


櫻井さんにご連絡をさせていただきました。(笑)


マリー・テレーズに関しての本が出ないかと、首を長くして待っていました。(すっかりろくろ首状態でした)
自分で思い切って(時間がかかるけど)英語版を読むしかないのか・・・と思っていた矢先、↑ マリー・テレーズが出ました!ああ、本当にうれしい!


マリー・アントワネットの子供達に関しての書籍が少なく、同じく櫻井さんが翻訳された「ルイ17世の謎と母マリー・アントワネット」もそうですが、翻訳して頂くおかげで、改めて「知る」ことも多いのです。


同書の中に、香水の調香師ファージョンの名前も出て来ます。ちょうど、マリー・テレーズを購入する、少し前に読んでいたので、途中から併読しました。
いつも、何冊か併読します。気合いを入れる系、ゆる~い系・・・大体1冊は全く違う分野です。


櫻井郁恵様、本当に感謝しております。ありがとうございます。カポディモンテ宮殿に行けたのも、櫻井さんのおかげです!


年内に完読を目指しましたが・・・年明け初めには読み終えそうです!


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弟ルイ・ジョセフと  


2003年東京都美術館で開かれた「ヴェルサイユ展」にも来ていましたね。


私は、昨年ヴェルサイユ宮殿専属ガイドによるツアー(英語)で「マリー・アントワネットのプライベートアパルトマン」を見学しました。
ここに、上記の王妃の子供達の絵が飾られていました。大事な子供達の絵が、王妃のプライベートルームに保管されていて、安心しました。


こちらには、普段目にすることのできない、王妃と関わりの深かった大事な人々の肖像画が飾ってあります。ランバル公妃、ポリニャック公爵夫人、マダム・エリザベートなどなど・・・本当に王妃の私室、といった場所です。王妃もきっと寂しくないでしょう。


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赤ちゃんの頃のマリー・テレーズです。本当に可愛いらしいです。光輝いています。


晩年、自分の部屋からの眺めが、チュイルリー宮からの眺めと似ていると、ずっと窓辺に座っていたマリー・テレーズ。


一生のほとんどを革命に翻弄されたひとりの女性マリー・テレーズ。
彼女の人生に思いを馳せたとき、無垢な赤ちゃんの頃の輝きがより増して感じる私です。
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by pinkfleur | 2009-12-30 21:20 | アントワネット関連・人・事
2009年 12月 22日

国立カポディモンテ美術館 完 - Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte -

カポディモンテ美術館に飾られていた肖像画・・・
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ナポレオン・ボナパルト " Napoléon Bonaparte , Napoléon I " 
1769年8月15日 - 1821年5月5日

私の行く先々で、この男に出くわす・・・。一時期ナポリを支配していたわけです。


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" Maria Amalia d'Orleans col figlio Duca di Chartres "

マリー・アメリー・オルレアンと、彼女の長男シャルトル公(Duca はイタリア語で公爵、フランス語だと Duc )


マリー・アメリー " Marie Amelie " 1782年4月26日 - 1866年3月24日


シャルトル公(のちオルレアン公) " Ferdinand Philippe d'Orléans "
                      1810年9月3日 - 1842年6月13日


マリー・アメリーは前ページでも触れていますが、マリア・カロリーナの六女、ルイ・フィリップ王妃。


いつ描かれたのか不明ですが、シャルトル公が10歳くらいだとしたら、マリー・アメリーは38歳頃・・・アラフォー?!


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こちらはヴェルサイユ宮殿に飾られている、マリー・アメリーと息子達の絵画です。


" La Reine Marie-Amélie avec le duc d'Aumale et le duc de Montpensier 1835 "


王妃マリー・アメリー、5男オマール公(たぶん左)と、6男モンパンシエ公と共に描かれています。


オマール公    " Le duc d'Aumale "  1822年1月16日 - 1897年5月7日
モンパンシエ公 " Le duc de Montpensier "  1824年7月31日 - 1890年2月4日


1835年ということは、マリー・アメリー53歳・・・オマール公13歳、モンパンシエ公11歳


最初この絵を目にした時、マリー・アメリーが孫と描かれているのかな・・・と思ったけど、違いました。
二人の息子でした。
おばあさんのように見えます・・・。面長で細い顔立ちだから、年を取るとしわやたるみが目立って、余計老けて見えるんですね・・・。
やせた人より、少しぽっちゃりしてる人の方が、若々しいものね・・・。しわやたるみが目立たない!


この二人の王子と、先のシャルトル公・・・かわいい!多少美化されているにしても、本当になかなかのイケメンだったんじゃないかなあ~。会ってみたい。


モンパンシエ公の名前が、パレ・ロワイヤル界隈に残っています。彼のお屋敷界だったのでしょうね。


パレ・ロワイヤルは彼の父、ルイ・フィリップやオルレアン家代々の居城だったわけですから、この辺りに居を構えたのには、納得がいきます。


まず、通りの名前に、" Rue de Montpensier " があります。
この通りは、コメディー・フランセーズから北に向かって、パレ・ロワイヤルと並行して伸びています。


それと、パレ・ロワイヤルの中にある
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" Gal. de Montpensier " ギャラリー・モンパンシエ


パレ・ロワイヤルの庭園と並行してあるパサージュです。
お店も少なく、何だか忘れられたパサージュ・・・といった感じでした。


そして
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" Hotel Montpensier " ホテル・モンパンシエ


ここのホテルに泊まったことがあります。ルーヴルに近いということで選びました。


2ツ星ですが、水まわりが改装されていて(私たちの部屋は)とてもきれい、お部屋もパリのホテルにしては広く、とても快適でした。贅沢を望まなければ十分です。


ロビーに、青年のモンパンシエ公の肖像画が飾られていました。宿泊した当時、モンパンシエ公が誰かわからなかったので、貴族なんだ・・・っていう目でしか見ていませんでした・・・。
記憶では、端正な顔立ちだったように思います。写真、撮っておけばよかった・・・。
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by pinkfleur | 2009-12-22 19:11 | イタリア
2009年 12月 20日

国立カポディモンテ美術館 4 - Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte -

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マリア・テレジア " Maria Theresia "  1717年5月13日 - 1780年11月29日


マリー・アントワネット、マリア・カロリーナのお母さんです。おっかさんといった風情の人です。


ここカポディモンテ美術館は、陶器博物館でもあり、膨大なコレクションが展示されています。


どこの美術館、博物館も一日では見きれません。ゆっくりじっくり鑑賞したい・・・。泊まり込みたいくらいです。


特にルーヴル・・・狙いを定めて行っても、途中あ、これ素敵!これも気になる・・・など横道に逸れたりして、加えて方向音痴、目的物を探して、閉館間際に館内を走り回らなければなくなる・・・そして半ば係員に追い出されるように、ルーヴルを後にする、のが恒例になってしまっています(笑)


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ベリー公妃 マリー・カロリーヌ " Marie Caloline "

ここでは先に彼女を紹介します。

彼女は、マリア・カロリーヌの次男、フランチェスコ1世・両シチリア王(ナポリ王国とシチリア王国の合併王国)の最初の妃マリア・クレメンティーヌ(マリア・カロリーヌの兄レオポルト2世の娘)との間の長女です。


彼女の両親はいとこ同士ということです。
マリア・カロリーナからすると、彼女は孫なわけです。


この孫が、次に紹介する

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ベリー公爵シャルル・フェルディナンド " Duc de Berry, Charles Ferdinand d'Artois "

ルイ16世の末弟アルトワ伯爵の次男である彼と、結婚します。


先にベリー公妃から紹介したのは、やはりここ、カポディモンテは彼女の実家なわけですしね・・・。


そしてこのベリー公は不幸なことに暗殺されるのですが、その時ベリー公妃はベリー公の子供を身ごもっていました。
その子供が後の、アンリ5世(シャンボール泊)です。


アンリ5世はフランス・ブルボン家の最後の男子、王位継承者でした。


彼の誕生は救いの子、奇跡の子として大変喜ばれました。


というのも、この時フランス・ブルボン家には、直系の男子王位継承者がいなかったのです。


ルイ16世夫妻の息子ルイ17世は死亡、次弟プロヴァンス伯夫妻には子供はいない。
末弟アルトワ伯の長男アングレーム公夫妻(公妃マリー・アントワネットの娘マリー・テレーズ)にも子供はなく、アルトワ伯の次男ベリー公夫妻には、女児はいたが、男児はいなかった。


そしてベリー公が暗殺され、ブルボン家はついに絶えるかと悲嘆にくれる中、マリー・カロリーヌの妊娠が判明、生まれた子供が男児であったため、大喜びされたということです。


けれども、アンリ5世に子供が出来なかったため、結局フランス・ブルボン家男子直系の血はここで絶えてしまいます。


私が注目したのは、フランスに嫁いだマリー・アントワネットの血ではなく、マリア・カロリーヌの血が、短い間とはいえブルボン家を救ったこと、そして長くなるので割愛しますが、カロリーナの血はブルボン家の好敵手オルレアン家にも流れ、男子継承が続いているということ・・・。


歴史とは、皮肉なものです。
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by pinkfleur | 2009-12-20 17:47 | イタリア
2009年 12月 19日

国立カポディモンテ美術館 3 - Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte -

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" La famiglia di Ferdinando IV " 1783 フェルディナンド4世一家 1783年


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左端の赤いドレスの少女はマリーア・テレーゼでしょうね。


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右よりの、でっぷりした男性がいきなり目に飛び込んで来て、あ!と思わず声を出してしまいました。
これは・・・マリア・カロリーナの六女、マリー・アメリー(イタリア語マリーア・アマーリア)の夫、ルイ・フィリップ・・・?


マリー・アメリー一家です、きっと。
ルイ・フィリップと思われる男性の体型といい、髪型といい・・・。
ん?でも毎度おなじみのリーゼントではないな。
と、細かい所を突っ込みながら、プレートもなかったので独断偏見でマリー・アメリー一家だと決めつけました。


それにマリー・アメリーは、マリア・カロリーナのの六女ですから、一家の肖像画があっても不思議ではありません。


以前の記事「王妃の劇場」で、ルイ・フィリップとマリー・アメリーに少し触れています。


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カポディモンテの高台にあるこの宮殿は、18世紀まで王宮でした。新王宮はまた別にあります。


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白と水色で統一された涼やかで静かな宮殿は、夏の暑さを忘れ、残された肖像画と共に18世紀へとタイムスリップさせてくれた空間でした。


ひと時、得難い時間を過ごすことができました。
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by pinkfleur | 2009-12-19 18:29 | イタリア
2009年 12月 18日

国立カポディモンテ美術館 2 - Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte -

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マリーア・テレーザ " Maria Teresa "
1772年6月6日生まれ - 1807年4月13日 34歳で亡くなっています。


マリア・カロリーナの長女(マリー・アントワネットの姪)で、神聖ローマ皇帝フランツ2世(のちオーストリア皇帝フランツ1世)の2人目の妃。


フランツ2世の先の妃エリザベト・ヴィルフィルミーネが亡くなくなり、マリーア・テレーザがウィーンに嫁ぐことになった。


フランツ2世もまたアントワネットの甥っこ。フランツ2世の父は、アントワネットの2番目の兄、神聖ローマ皇帝レオポルト2世。

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1790年、アントワネットは姉マリア・カロリーナに、姪と甥、マリーア・テレーザとフランツ2世の結婚を祝う手紙を送っています。


フランス革命の最中だったため、アントワネットの複雑な思いがしたためられた手紙となっています。


マリーア・テレーザのことはほとんどわかりませんが、肖像画を見る限り、おっとりした人柄、といった感じがします。
1790年に描かれていますので、結婚した年の18歳ということですね。


勝手な想像ですが、カロリーナが嫁ぐ娘の肖像画を残しておきたくて描かせたものかな・・・と思います。

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絵の下に掲げられているプレートです。


Elisabeth Vigée Lebrun とあります。あ!ヴィジェ・ルブラン夫人!
フランス革命後、ナポリでカロリーナの娘達を描いたということだったので、やっぱり、と思いました。この優しいタッチは、まさしくルブランの筆そのものです。


(ヴィジェ・ルブラン)
Parigi 1755-1842  パリ 1755年生1842年没。 
パリはイタリア語表記だと Parigi になるんですね。


ルブラン夫人は1755年(アントワネットと同じ年)パリで生まれ、革命後諸国(イタリア、オーストリア、ロシアなど)を転々とし、最後はフランスに戻り、パリで亡くなりました。


ヴェルサイユの近くにルヴシエンヌという町がありますが、彼女はこの地を気に入っていたようで、ここに住んでいました。


また、ルヴシエンヌにはデュ・バリー夫人の邸宅もあります。


ヴェルサイユ観光局で、きれいなパンフレットがあるなーと、手にとってびっくり!デュ・バリー夫人の館でのコンサートの案内パンフレットでした!


こちらの館では現在でも定期的(っていうか毎月?)に、コンサートが行われています。
見学だけでも可能なようです。
いつか行ってみようと思っています。


ルブラン夫人は、デュバリー夫人をデュ・バリーの、このルヴシエンヌの館で描いています。


プレート表記に戻ります。
Maria Teresa di Borbone ・・・イタリア語はわからないけど多分、Maria Teresa はそのままマリーア・テレーゼ、di はフランス語の de、 そして英語だと of のはず・・・そして Borbone ・・・ブルボン・・・?


続いて poi imperatrice d'Austria 1790 circa とある。
これも imperatrice はフランス語と同じ(impératrice)皇后。d'Austria はオーストリアの。circa は siècle(時代)に違いない!最初の poi って何だろう?ま、いいや。


つまり「マリーア・テレーゼ・ブルボン オーストリア皇后」1790年代・・・っちゅうことかね?


えええ?私は一瞬びっくりした。混乱しました。ブルボンということは、アントワネットの娘マリー・テレーズのことなのか・・・?
私は理解に苦しんだ。でもマリー・テレーズはアングレーム公と結婚してるし、オーストリア皇后じゃないし・・・。


そして帰国後調べて解決。この時代、ナポリ王国はスペイン・ブルボン家により統治されていたため、ナポリ・ブルボン朝と言われていた。・・・ので Borbone と名前に付いていたわけです・・・。


また話が逸れます。
フランス語ですが、コミュニケーションに必要な単語や、よく使う単語を覚える前に、マリー・アントワネットに関連するフランス語の本などを見ていて(ほとんど読めない)、国王や王妃、伯爵・・・などの単語を、先に覚えた次第・・・。


普段ほとんど必要ない・・・。でも、ここで役立った!よかったね私!笑!


イタリアの歴史も本当に興味深い。マリー・アントワネットもイタリア語を流暢に話したので、イタリア語も勉強しようかな・・・。

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彼女は、マリア・カロリーナの二女 ルイーザ・マリーア
1773年7月27日生 - 1802年9月19日没 亨年29歳


トスカーナ大公フェルディナンド3世(姉マリーア・テレーザの夫フランツ2世の弟)と、姉と同じ年1790年に結婚。姉妹で、いとこ兄弟と結婚したわけですね。


こちらの肖像画もカロリーナが手元に残すため、描かれたのかなと思います。
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by pinkfleur | 2009-12-18 19:07 | イタリア
2009年 12月 18日

国立カポディモンテ美術館 1 - Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte -


今年夏イタリアナポリにある、国立カポディモンテ美術館(・・・言いにくい)に


はるばる行って参りました。 


18世紀の旧宮殿内にある美術館です。



もちろん、マリー・アントワネット関連です。アントワネットのお姉さんに会いに・・・。肖像画ですが・・・。



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マリア・カロリーナ " Maria Carolina "  1752年8月13日 - 1814年9月8日



写真は、ナポリ・シチリア王妃マリア・カロリーナ。マリー・アントワネットの3歳年上のお姉さんです。

アントワネットと一番仲の良かったカロリーナ。

お互い嫁いでからも、手紙のやりとりを頻繁にしていました。



いろいろなことを相談していたのだろうと思います。

アントワネットは子供が出来てから育児方針についても、カロリーナに書き送っています。



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・・・この肖像画を目にして、真っ先に思ったのは、イタリアのフィギュアスケート選手

カロリーナ・コストナー に(ちょっと)似てる!でした。


・・・アントワネットではなく・・・。



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マリア・カロリーナの夫 フェルディナンド4世  二人は18人の子供に恵まれます。

成人した子供は7人。



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イタリアは2度目、夫は初めて。


ナポリは次回ゆっくり回ろうと、当初ローマヴァチカン市国だけの予定でしたが

いざローマに着いて観光していると、せっかくここまで来たのに・・・という思いが

二人の間にムクムクと湧き起こり、2日目ヴァチカン博物館とローマ市内を散策後

夕食の途中 ナポリ行きの決意をお互い確認 テルミニ駅に向かいました。



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案の定窓口は長蛇の列だったので、思い切って自動券売機でチケット手配をすることに!

自動券売機は確か言語が選べた(英語を選択)。でも途中からイタリア語になったような・・・。



フランスの自動券売機もやっぱり途中でフランス語になったと思う。



イタリア語はもちろん(?)わからなかったけど、多分これは変更できないチケットだ、とか

これはこうなんじゃない? などとアバウトに訳しながら、何とか購入!



これも旅のいい思い出。



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無事チケットを購入後テルミニ駅からホテルへの帰り道、歩きながらジェラートを食べた。

生暖かい風が心地よく、ナポリに行けるというウキウキ気分も相まって

ジェラートはホントにおいしかった・・・!



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この宮殿の庭園は、ヴェルサイユのトリアノンの庭園をモデルにしたそうです。



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この肖像画は似ていませんでしたが、アントワネットの晩年(といっても37歳頃)の肖像画は

二人そっくりなものがあります。



また、パルマに嫁いだアントワネットとカロリーナの姉、マリア・アマーリア

(アントワネットより9歳、カロリーナより6歳年長)の肖像画も

二人に似ていて (つまり三人そっくり・画家はそれぞれ違う) 、それらを目にする度

やっぱり姉妹なんだね・・・と、それぞれ嫁いだ後二度とお互い会うことがなかったことを

考えると、しんみりした気持ちになってしまいます。
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by pinkfleur | 2009-12-18 01:33 | イタリア
2009年 12月 09日

マリー・アントワネットの薔薇

    
" Rosa centifolia "  ロサ・センティフォリア

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マリー・アントワネットが、エリザベト・ヴィジェ・ルブラン夫人作の肖像画で手にしているバラが、このバラです。
バラの名前は、100枚の花弁を持つバラ、という意味だそうです。

     
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" La Reine à la rose "  1983年 マリー・アントワネット 28歳頃 

ルブラン夫人の描くアントワネットの肖像画をいくつも見てきましたが、こちらは正直あまり好きではありません。
ルブラン夫人の、他の作品の方が好きです。
    

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どちらも同じ、ロサ・センティフォリアですが、版が違うのか、色が違いますね。


バラ図譜の原画は、1871年パリ・コミューンによって火災に遭い、焼失。
チュイルリー宮殿も焼失しています・・・。(・・・ああ、ホントむかつく!)


このロサ・センティフォリアは、ルドゥテのバラ図譜の、第1号バラとして掲載されているそうです。
彼の生きた時代のバラの中でも、本当にバラらしい、美しいバラだものね・・・。      


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先の2枚の絵は、こちらの図版集に収められています。
上の絵が、右の「薔薇空間」です。 下の絵は、左の「The Roses」


上記の2冊は、先日購入したばかり。
「薔薇空間」の存在は知っていた。昨年、渋谷Bunkamuraへ、ルドゥテの作品展「薔薇空間」を見に行ってきました。
・・・展覧会で販売されているグッズって、便乗商品っていうか、妙な物も出ていて笑える・・・!


でもこの「The Roses」は、久しぶりに、紀伊國屋の美術書コーナーをウロウロしていて発見!


やっぱり本屋さんに直接足を運ぶことによって、当たり前ですが、新たな本に出会えます。


ベストセラー本は、うさんくさいと決めつけているので、その辺は目もくれず・・・。
サササっと見て、直観で手にしたりしなかったり・・・。
そして大体、直行するのが歴史のコーナー。


映画「マリー・アントワネット」が公開された頃は、マリー・アントワネット関連の本が、これでもかというくらい、出てたけど、現在は静かなものです。(笑)


そしてさらにうれしい発見!紀伊國屋書店でも、ポイントカードができていたのです。11月半ばにスタートしたばかりのようです。


早速入会、携帯からログインし、すぐにカードが使えるように設定。
上記2冊も購入、重たかったけど持って帰りました・・・。


軽い文庫本など、ネットで買ってたりするくせに・・・よりによって、重くて、しかも美術関連書だし、特に大事にしたい本を・・・なんて、ひとり心の中で笑いながら帰宅したのでした。


そして、この「The Roses」は値引きされていたんです!ラッキー。
後でネットで確認した時、購入金額より安いのが出て来て、えっ!って一瞬ヒヤッ・・・でも、よく見るとそれは英語版。(英語版もあったのね)
私のは翻訳版。ホッ。
って、何だかセコセコした話、私。でも重たい思いをして高かった、なんてことだったらと思うと。(笑)
買って帰って大正解!でした。


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こちらは、プチトリアノンに飾られている、マリー・アントワネットの肖像画です。
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by pinkfleur | 2009-12-09 01:43 | アントワネット関連・人・事
2009年 12月 07日

凱旋門  - L'Arc de Triomphe


EU旗

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2008年7月から半年間フランスはEU議長国で、凱旋門にEU旗が掲げられていました。
写真は、昨年秋に訪れた時のもの。


EU旗には12の星が描かれていますが、加盟国数が変わっても、星の数は変わりません。
完璧、充実を象徴する古代ギリシャの円を表し、12という数は、完全という意味があるそうです。
ギリシャ神話の12神と関係しているのでしょうか・・・。

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ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿などなどが、スト(grève)・・・・・。
日本からだと、ちょっとやそっとで行けないわけだし、せっかく来たのに・・・!
と、私だったら強行突破か、暴れる・・・ことはしなくても、それぐらいショックな出来事。


芸術鑑賞が観光だけではないにしても、リゾート地への観光とは、違う。
私はリゾート地には、あんまり行きたいとは思わない。
ましてや、住むなんて考えられない。絶対いや。・・・ってこういう話があるわけではありません(笑)


そこで生まれ育ったわけではないので、たま~~に行くからリゾートなのであって・・・。
とはいえ今までも、サイパン、プーケット、ハワイ(ハワイは2度、最近では4年前)に行っている。
のんびりできて気持ちいいけど、飽きてしまうんだよね。
サイパン、ハワイ(1度目)は10代、プーケットは21,2歳・・・若かったから、それなりに楽しかった。


でも、プーケットのビーチで、現地の女性にマッサージをしてもらったけど、あまりいい気分のものではない、と感じた。
マッサージそのものや、その女性に対してではなく、タイ人に対して上から目線的になりそうな環境が、いやだった。
最初はそういう感覚がなくても、現地の人達のせいではないけど、明らかに勘違いをしてしまいそうになる。
単なるお客→タイ人マッサージ師  ではなく、  金持ち→奴隷(は極端かもしれませんが)のような感じがして。


もちろん、そういうつもりで接してはいませんが。
現地人も、欧米や日本からの観光客で豊かになるから、卑屈になどはならないのだろうけど。
逆にモナコなどでは、自分が引いてしまうんじゃないかな、と思う。アジア人には似合わない気がして。


日本人は、奴隷制度と言われてもピンとこない。よその国のこと、と考えてしまう。
だけど、欧米にはれっきとしてあった。植民地もある。
現地の人々も今更独立・・・というのも難しいことでしょう。
フランスは好きだけど、植民地を多く有する国。


タヒチに私が行くことはないでしょうね。(笑)
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by pinkfleur | 2009-12-07 00:19 | パリ