ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~                         

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カテゴリ:アントワネット関連・人・事( 18 )


2010年 05月 10日

マダム・エリザベトの命日 - L'anniversaire de la mort de Madame Elisabeth -


人は何かを選択しながら生きている。


歴史にもし、を言いだしたらキリがありません。


でも、もし、彼女がフランス革命勃発(1789年)と同時に
すぐ上の兄、アルトワ伯一家と共に亡命していれば
革命後もおそらく生き延びることができたはずです。


彼女が選んだのは長兄ルイ16世と、本人が
仲の良かった義姉マリー・アントワネットのそばに残ること。


革命中、ルイ16世とアントワネットを支え続けます。


しかし、この選択によって彼女は過酷な運命までも
兄一家と共に辿ることになってしまいました。


その彼女というのはルイ16世の末妹マダム・エリザベト



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" Elisabeth Philippine Marie Hélène dite Madame Elisabeth "

エリザベト・フィリピーヌ・マリー・エレーヌ 通称マダムエリザベト


1764年5月3日 - 1794年5月10日 享年30歳


作 : 1782年 エリザベト・ヴィジェ・ルブラン夫人 


肖像画来歴 : カール伯爵家の孫娘、オンシュー侯爵夫人と姉妹マダム・ベアトリクス・ベルティエより寄贈
1961年2月10日ヴェルサイユ宮殿入り(図録 MARIE-ANTOINETTE RMN刊より)


この肖像画を初めて見た時、ああルイ16世に似ている!って思いました。



1794年の今日5月10日、マダム・エリザベトは現在のコンコルド広場において
断頭台上で、その30年の生涯を終えました。


この日彼女は、一緒に断頭台に向かったルイ16世の弁護人
マルゼルブ氏の姉セノザン夫人や他の受刑者たちの
処刑を見届けさせられ、最後にギロチンにかけられました。


受刑者ひとりひとりがマダム・エリザベトにお別れをし
断頭台に登ったと言われています。


処刑前夜のコンシェルジュリでは、受刑者たちを
慰め励まし、人生最後の夜を過ごしました。



マダム・エリザベトは1764年5月3日、ルイ15世の息子、
王太子ルイ・フェルディナンとマリー・ジョゼフ・ド・サックスの
8番目の子供、末娘としてヴェルサイユにて誕生しました。


兄達に、前述のルイ16世、プロヴァンス伯、アルトワ伯
また5歳年上の姉クロチルドがいました。


肖像画からも見てとれるように、少しぽっちゃりした体型は
両親からの遺伝、さらに厳密に言えば、父方の祖父の元ポーランド国王
スタニスラス・レクザンスカの血がしっかり受け継がれています。



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父ルイ・フェルディナン(この肖像画は痩せていますが後に太ったそうです)(2008年11月撮影)
・・・見づらくてスミマセン。



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母マリー・ジョゼフ・ド・サクス (2008年11月撮影)



彼女が1歳の時に父が、そしてまだ3歳に満たぬ頃に母が
相次いで亡くなります。
(この父の死により、長兄ルイ・オーギュストが王太子となり
その後、ルイ16世となります。)


そしてエリザベトが6歳の時に長兄ルイ16世の妃として
(正確にいうと当時王太子妃)
オーストリアからマリー・アントワネットがヴェルサイユに
嫁いで来ました。


イギリス人伝記作家アントニア・フレイザーの伝記
マリー・アントワネットによると、アントワネットが初めて
エリザベトに会ったのは、1770年5月16日水曜日
アントワネットとルイ16世の結婚式当日、王太子妃の部屋で
ルイ16世の兄弟姉妹を紹介された時とのこと。



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この部屋で会ったそうです。 (2008年11月撮影)



14歳半のアントワネットと、6歳のエリザベト、
二人とも、とってもかわいかったことでしょうね。



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先のエリザベトの肖像画が収められている図録「MARIE-ANTOINETTE」にXavier Salmon 氏が寄せているフランス語の文章を訳してみました。


「ヴェルサイユに到着後、すぐにマリー・アントワネットはルイ16世より10歳年少の妹エリザベトに愛着を覚え、やがて長い年月と共に若い二人の女性の間には本物の愛情が育まれた。」


とあります。


子供が好きだったというアントワネットですから、ことのほかエリザベトをかわいがったことでしょうし、またアントワネットは末娘(弟はいます)であったため、彼女を実の妹のように思っていたことは間違いありません。




また物心もつかぬ間に両親を失くしていたエリザベトも
誰よりもかわいがってくれるアントワネットを
義理の関係を超えた本当の姉と慕っていたのではないでしょうか。


さらにXavier Salmon 氏によると


「プチトリアノンでエリザベトは、王妃と同じ階に部屋を持っていた」


とありますので、王妃が彼女を信用していたことが窺えます。


アントワネットは母マリア・テレジアに、エリザベトのことを
何度となく書き綴り、彼女の後ろ盾になってあげたいと
責任感を強くしていますが、皮肉にも二人の末路は残酷極まりない
ものとなってしまいました。


思慮深く、穏やかで敬虔であったエリザベトですが
革命中、アントワネットたちの元に留まりながらも
むざむざと革命の波に翻弄されるよりはと、
兄プロヴァンスやアルトワによる亡命貴族軍を応援し
アントワネットやルイ16世の意見に反目する
気の強い面も持ち合わせていた彼女。


タンプル獄では、国王一家の従僕であったクレリーが
エリザベトがベッドのそばで祈る姿を何度も見かけた
と自身の日記で述懐しています。
収録「ルイ十六世幽囚記」


その彼女のベッドは現存し、パリ・マレ地区にある
「カルナヴァレ博物館」にて目にすることができます。
簡素ではありますが、かわいらしいベッドでした。



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現在この肖像画はマリー・アントワネットのプライベート・アパルトマンに飾られています。(2008年11月撮影)


やっぱり、肖像画は実物をこの目で見るのが一番だと思います。
今の世の中、ネットでほぼ何でも見ることができますが
その物の放つオーラや存在感までは、掴み取ることはできません。


対峙して初めてその背景が見えてくるような気がします。


彼女の肖像画(写真)を前に、ふとそんなことを思いました。


多くのギロチンの犠牲者のひとりとして、
エリザベトの名前もまた、コンシェルジュリに記されています。
ご訪問の折には、アントワネットの名前と共にどうぞ探してみて下さい。



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こちらはサン・ドニ大聖堂内のエリザベトの墓碑です。
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by pinkfleur | 2010-05-10 18:04 | アントワネット関連・人・事
2010年 03月 27日

Chou d'amour  - シュー・ダムール -


まだまだ肌寒い中、街が桜色に染まりつつあります。

今日はルイ17世の誕生日でした。

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Louis-Charles Duc de Normandie Louis XVII
ルイ・シャルル  ノルマンディー公爵  ルイ17世


細密画  来歴:代々トゥルーゼル家が所有。1954年ヴェルサイユ宮殿に寄贈。
          (トゥルーゼル侯爵夫人はルイ・シャルルと姉マリー・テレーズの養育係)


225年前の今日、1785年3月27日 ノルマンディー公ことルイ・シャルルは
父ルイ16世 母マリー・アントワネットの次男(第3子)として
春の訪れを告げるように、ヴェルサイユ宮殿にて誕生しました。


金髪に青い目、丈夫でぷくぷくとした愛嬌たっぷりな赤ん坊でした。


母アントワネットからは Chou d'amour (愛のキャベツ)
父ルイ16世からは かわいいノルマンと呼ばれ
姉マリー・テレーズからは、まるで彼女の赤ちゃんのように可愛がられました。


それに応えるかのように彼もまた父母を愛し、姉を慕います。



ヴェルサイユでは花好きの母、マリー・アントワネットのために
ルイ・シャルルは毎朝母に花を摘みました。

チュイルリーに移ってからも、小さな庭で花を育てました。

そしてタンプル塔では、すでにこの世にいない母のために
摘んだ花を、母の部屋の前に置きます。 母を思って。


胸が痛くなるエピソードです。


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(2008年11月 サン・ドニ大聖堂 王家の霊廟)


今日は、わずか10年という彼の短い人生の
家族に守られ愛された、束の間の幸せに思いを馳せ
咲き始めた桜を眺めながら、一日を過ごしました。
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by pinkfleur | 2010-03-27 23:48 | アントワネット関連・人・事
2010年 02月 04日

チューリップ と ヒヤシンス

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マリー・アントワネットが好きだった 「チューリップ」 と 「ヒヤシンス」 を飾ってみました。

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実は、こうみえて(?)いつも「花」を飾っているのです。 花屋さんで売られている小さい束を買ったり、好きなのを選んだり。

玄関や部屋に花があると明るくなります。

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淡く優しい色合いを好んだ王妃。 王妃の肖像画には、バラと共にヒヤシンス ← 「リラ(ライラック)」ではないかと最近思うようになってきたので(笑)変更します!(8/6 2010 )

もよく描かれています。 王妃のバラはこちら

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ヒヤシンス ← 上記の理由で「リラ(ライラック)」に変更します!(8/6 2010)

おわかりいただけますでしょうか? 上部のバラの間に咲いている花がそうです。

チューリップがないのがちょっと残念です。

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" La reine Marie-Antoinette en robe à paniers "

フランス王妃マリー・アントワネット
ヴィジェ・ルブラン夫人作
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by pinkfleur | 2010-02-04 23:58 | アントワネット関連・人・事
2010年 01月 21日

ルイ16世の命日によせて - L'anniversaire de la mort de Louis XVI -

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ルイ16世は、1793年1月21日 革命広場、現在のコンコルド広場にて処刑されました。

1754年8月23日生 - 1793年1月21日没  享年38歳

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1754年8月23日午前6時頃、彼はこの部屋、ヴェルサイユ宮殿・王太子妃の寝室にて生まれました。(残念ながら当時を偲ぶ家具類ではありません 2008年秋撮影)


ルイ・フェルディナン王太子と、その妃マリー・ジョゼフ・ド・サックスの「三男」として誕生。


ルイ・フェルディナンは、ルイ15世とその妃マリー・レクザンスカの長男です。


父ルイ・フェルディナンと母マリー・ジョゼフ・ド・サックスには、すでに長女マリー・ゼフィリーヌ、長男ブルゴーニュ公、次男アキテーヌ公がいました。


けれど、母マリー・ジョゼフがルイ16世を妊娠中、次男アキテーヌ公(生後7ヶ月)が亡くなってしまいます。


そして、ルイ16世が6歳半の時、長男ブルゴーニュ公(9歳半)が亡くなり、11歳の時、父(33歳)までもがこの世を去ってしまう。
(姉マリー・ゼフィリーヌも5歳で夭折。ルイ16世が1歳前後)


本来、遠かったはずの「王位継承者」という地位に立たされ、過酷な人生ををたどることになってしまいます。

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数学や物理が得意、科学にも深い興味を持ち、地理や歴史に明るく、さらにラテン語・英語・イタリア語・スペイン語が堪能で、非常に勉強熱心でした。
外国の新聞にも目を通し、ヨーロッパ各国の政情に精通していました。


身長178cm と、当時の人としては長身で、がっちりした体格、かなり大柄な人だったようです。


ルイ14世や15世の派手さを好む血は彼には流れず、父ルイ・フェルディナンに似て、地味で真面目、几帳面で、信仰心の篤い人でした。


理路整然としていて、しっかりとした意見を持っていたにも拘わらず、寡黙で優柔不断だった為、長所が理解されにくい人でした。


また、大変きれい好きで、狩猟の後、2槽の浴槽を用意し、1槽で石鹸を泡立てて体を洗い、もう1槽のきれいなお湯で体をゆすぐという、当時としては珍しいお風呂の入り方をしていた人です。


彼の治世は、長年の戦争と悪政により、すでに国家は財政難、またヨーロッパは凶作続きで、困難の多い時代でした。


政治の改革を懸命に進めていましたが、アメリカ独立戦争を支援(これが最大の原因だと思う)し、財政の立て直しに失敗(王妃が口出ししているかのごとく誤解されていますが、ルイ16世は日頃、王妃の政治関与を頑なに拒み、優柔不断だったにせよ、自己の意思で判断決定していることがほとんどです)


革命を許さず、結局亡命に失敗、自らアドバイスしたギロチンの刃(三日月型ではなく、斜めまっすぐに、という)によって、命を落とすことになりました。

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そして死刑の際、彼の望んだ「フランス国民の幸せ」はおろか、その後一番守りたかったはずの、彼の家族のほとんどが、悲劇の最期を遂げることになります。


統率力に欠け、激動の時代の一国の君主には向かない人だったのでしょうが、子煩悩で、優しく、誠実だったルイ16世。


断頭台で、従容として死に臨み、革命派も認めざるを得なかった立派な最期は、これからも語り継がれてゆくべきだと、私は思います。

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ルイ16世、マリー・アントワネット、王家のお墓のある「サン・ドニ大聖堂」 (2008年秋撮影)

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今日一日は、彼を思って、手を合わせました。

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実際ルイ16世が使用していた、趣味の錠前作りの為の・・・機械です。 (2008年秋撮影)

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ああ・・・ピンボケ・・・。(泣)  ・・・ちなみに、ルイ16世は乙女座でした。
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by pinkfleur | 2010-01-21 23:57 | アントワネット関連・人・事
2009年 12月 30日

マリー・テレーズ - Marie-Thérèse Charlotte dite Madame Royal - 

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Marie-Thérèse Charlotte dite Madame Royal

1778年12月19日 - 1851年10月19日

マリー・テレーズ、またの名をマダム・ロワイヤル 1786年、彼女が8歳頃の作品です。


こちらの肖像画を、昨年パリのグランパレで開かれた「マリー・アントワネット展」で見て来ました。


この肖像画と対峙した時は、感無量でした・・・。


その時購入した図録から、撮影。


彼女はマリーアントワネットとルイ16世の長女です。ルイ16世一家の中で、唯一生き延びました。


ルイ16世の末弟アルトワ伯爵(後のシャルル10世)の長男アングレーム公爵と結婚し、アングレーム公爵夫人となります。


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櫻井郁恵さんの翻訳「マリー・テレーズ」発売ほぼ同時に、書店に買いに行きました。(走ったと言っても過言ではありません・笑)


櫻井さんにご連絡をさせていただきました。(笑)


マリー・テレーズに関しての本が出ないかと、首を長くして待っていました。(すっかりろくろ首状態でした)
自分で思い切って(時間がかかるけど)英語版を読むしかないのか・・・と思っていた矢先、↑ マリー・テレーズが出ました!ああ、本当にうれしい!


マリー・アントワネットの子供達に関しての書籍が少なく、同じく櫻井さんが翻訳された「ルイ17世の謎と母マリー・アントワネット」もそうですが、翻訳して頂くおかげで、改めて「知る」ことも多いのです。


同書の中に、香水の調香師ファージョンの名前も出て来ます。ちょうど、マリー・テレーズを購入する、少し前に読んでいたので、途中から併読しました。
いつも、何冊か併読します。気合いを入れる系、ゆる~い系・・・大体1冊は全く違う分野です。


櫻井郁恵様、本当に感謝しております。ありがとうございます。カポディモンテ宮殿に行けたのも、櫻井さんのおかげです!


年内に完読を目指しましたが・・・年明け初めには読み終えそうです!


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弟ルイ・ジョセフと  


2003年東京都美術館で開かれた「ヴェルサイユ展」にも来ていましたね。


私は、昨年ヴェルサイユ宮殿専属ガイドによるツアー(英語)で「マリー・アントワネットのプライベートアパルトマン」を見学しました。
ここに、上記の王妃の子供達の絵が飾られていました。大事な子供達の絵が、王妃のプライベートルームに保管されていて、安心しました。


こちらには、普段目にすることのできない、王妃と関わりの深かった大事な人々の肖像画が飾ってあります。ランバル公妃、ポリニャック公爵夫人、マダム・エリザベートなどなど・・・本当に王妃の私室、といった場所です。王妃もきっと寂しくないでしょう。


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赤ちゃんの頃のマリー・テレーズです。本当に可愛いらしいです。光輝いています。


晩年、自分の部屋からの眺めが、チュイルリー宮からの眺めと似ていると、ずっと窓辺に座っていたマリー・テレーズ。


一生のほとんどを革命に翻弄されたひとりの女性マリー・テレーズ。
彼女の人生に思いを馳せたとき、無垢な赤ちゃんの頃の輝きがより増して感じる私です。
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by pinkfleur | 2009-12-30 21:20 | アントワネット関連・人・事
2009年 12月 09日

マリー・アントワネットの薔薇

    
" Rosa centifolia "  ロサ・センティフォリア

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マリー・アントワネットが、エリザベト・ヴィジェ・ルブラン夫人作の肖像画で手にしているバラが、このバラです。
バラの名前は、100枚の花弁を持つバラ、という意味だそうです。

     
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" La Reine à la rose "  1983年 マリー・アントワネット 28歳頃 

ルブラン夫人の描くアントワネットの肖像画をいくつも見てきましたが、こちらは正直あまり好きではありません。
ルブラン夫人の、他の作品の方が好きです。
    

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どちらも同じ、ロサ・センティフォリアですが、版が違うのか、色が違いますね。


バラ図譜の原画は、1871年パリ・コミューンによって火災に遭い、焼失。
チュイルリー宮殿も焼失しています・・・。(・・・ああ、ホントむかつく!)


このロサ・センティフォリアは、ルドゥテのバラ図譜の、第1号バラとして掲載されているそうです。
彼の生きた時代のバラの中でも、本当にバラらしい、美しいバラだものね・・・。      


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先の2枚の絵は、こちらの図版集に収められています。
上の絵が、右の「薔薇空間」です。 下の絵は、左の「The Roses」


上記の2冊は、先日購入したばかり。
「薔薇空間」の存在は知っていた。昨年、渋谷Bunkamuraへ、ルドゥテの作品展「薔薇空間」を見に行ってきました。
・・・展覧会で販売されているグッズって、便乗商品っていうか、妙な物も出ていて笑える・・・!


でもこの「The Roses」は、久しぶりに、紀伊國屋の美術書コーナーをウロウロしていて発見!


やっぱり本屋さんに直接足を運ぶことによって、当たり前ですが、新たな本に出会えます。


ベストセラー本は、うさんくさいと決めつけているので、その辺は目もくれず・・・。
サササっと見て、直観で手にしたりしなかったり・・・。
そして大体、直行するのが歴史のコーナー。


映画「マリー・アントワネット」が公開された頃は、マリー・アントワネット関連の本が、これでもかというくらい、出てたけど、現在は静かなものです。(笑)


そしてさらにうれしい発見!紀伊國屋書店でも、ポイントカードができていたのです。11月半ばにスタートしたばかりのようです。


早速入会、携帯からログインし、すぐにカードが使えるように設定。
上記2冊も購入、重たかったけど持って帰りました・・・。


軽い文庫本など、ネットで買ってたりするくせに・・・よりによって、重くて、しかも美術関連書だし、特に大事にしたい本を・・・なんて、ひとり心の中で笑いながら帰宅したのでした。


そして、この「The Roses」は値引きされていたんです!ラッキー。
後でネットで確認した時、購入金額より安いのが出て来て、えっ!って一瞬ヒヤッ・・・でも、よく見るとそれは英語版。(英語版もあったのね)
私のは翻訳版。ホッ。
って、何だかセコセコした話、私。でも重たい思いをして高かった、なんてことだったらと思うと。(笑)
買って帰って大正解!でした。


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こちらは、プチトリアノンに飾られている、マリー・アントワネットの肖像画です。
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by pinkfleur | 2009-12-09 01:43 | アントワネット関連・人・事
2009年 11月 02日

生誕254年  - Bon anniversaire -


おめでとうございます。

マリー・アントワネット生誕254年・・・といってもピンと来ません!

1755年11月2日オーストリア、ウィーンにあるホーフブルグ宮(王宮)で誕生。

今日はアントワネットの肖像画、私のお気に入りをUPしたいと思います。

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" L'Archiduchesse Marie-Antoinette d'Autriche " Joseph Ducreux 画 1769年
「オーストリア大公女 マリー・アントワネット」 


こちらは、私が一番好きな肖像画です。いつ入手したのか忘れた絵ハガキ、をデジカメで撮りました。

結婚(1770年)前、フランスに贈られた「髪をフランス風に結い上げ、美しくほほ笑む」肖像画を見て、ルイ15

世は、これぞ未来の王太子妃(自分の孫の嫁)と、とても気に入ったそうです。



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" Marie-Antoinette en habit de chasse " Joseph Krantzinger 画 1771年
「狩猟服姿のマリー・アントワネット」


レプリカがオーストリア、ウィーンにいる母マリア・テレジアに贈られ、彼女も大変気に入っていたそうです。

こちらは、2008年4月パリのグランパレで開かれていた「マリー・アントワネット展」に行った際、購入した図録

から一枚パチリ。

図録には ↑ の様に、手の先まで載っていませんが、実際はグローブをはめ、鞭を持った手の先まで描かれて

います。

赤い華やかな衣装が、まだ若い(というよりは幼い。この頃15,6歳)彼女にぴったりです。

少しすました彼女の表情が、とても愛らしいです。中の花柄のベストもオシャレです。



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" La Dauphine Marie-Antoinette " Joseph Ducreux 画 1770年
「王太子妃マリー・アントワネット」


すみれ色のドレスと、頭と首に付けている優しい淡いピンク色のリボンが、彼女の綺麗な肌をさらに際立たせ

ていると思います。

王族にしか許されていなかった "てん" の毛皮が縁取りされたブルボン家の紋章(百合)入りのコートを纏っ

ています。

衣装からロイヤルファミリー、正式な王位継承者(の妃)と認められていることがわかります。

2008年4月ヴェルサイユ宮殿を訪ねた時、私と入れ違いに肖像画は日本の京都と東京で開かれていた

「japan 蒔絵」展に出展されていました。

東京のサントリー美術館で、対面した時は本当にうれしかったです。

展示されているスペースが、ほわっと柔らかい光に包まれていて、不思議と蒔絵と調和していました。

なぜ、この絵が蒔絵展に選ばれたのか、わかるような気がします。

その蒔絵展で絵ハガキになっていたのを購入、デジカメでパチリ。



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" La Dauphine Marie-Antoinette " Peintre du Cabinet du roi 画 1770年
「王太子妃マリー・アントワネット」   
作者は王のお抱え画家の誰か、のようです。


こちらも上記と同じ1770年、ブルボン家に嫁いですぐ描かれたということですね。

ヴェルサイユ宮殿でルイ16世の王太子時代の肖像画と並んで飾られています。2008年10月訪問時撮影。

まだまだあどけなさの残る、本当にかわいらしい一枚です。



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 " Portrait de la reine Marie-Antoinette en costume de chasse " Adolf Ulrik Wertmuller 画 1788年
「乗馬服に身を包んだ王妃マリー・アントワネットの肖像」
                            
       
急に年を取ったアントワネットが出て来た感じですよね(笑)しかもピンボケ・・・ごめんなさい。

マリー・アントワネットのプライベートアパルトマンに飾られています。2008年10月訪問時撮影。

スウェーデン人画家ヴェルトミュラーは1785年に、王妃と彼女の娘マダムロワイヤルことマリー・テレーズと

息子の王太子ルイ・ジョセフの三人一緒の姿を描いていますが、評判はあまりよくなかったようです。

というのも、王妃があまりにも自然に描かれ過ぎており、威厳さが欠けていて、顔があまりにも本人に

忠実に描かれているという、わけのわからない(現在では)理由で・・・。

ただ、当の王妃本人が、ヴェルトミュラーに再び絵を依頼(しかも肖像画!)しているところをみると

気に入っていたのでしょうね。

2008年1月東京都美術館で開かれた「ルーブル美術館展」で、初めて見ました。そして同年10月

ヴェルサイユ宮殿のマリー・アントワネットのプライベートアパルトマンで再発見した時は

ああ普段はここに飾られているんだな、と感慨深いものがありました。

本人にかなり似ていると言われていて、確かに美人ではありませんが、とてもチャーミングだと私は思います。


以上、私のベスト5(今のところ)でした。
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by pinkfleur | 2009-11-02 23:59 | アントワネット関連・人・事
2009年 10月 16日

マリーアントワネットの命日によせて - L'anniversaire de la mort de Marie Antoinette -

今日はマリーアントワネットの命日です。
1793年10月16日、現在のコンコルド広場にて処刑されました。
広場のオベリスクのすぐそばに、そのことを示すプレートがあります。

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コンコルド広場 
最初はルイ15世広場、そして革命広場と名を変えていきます。
1770年マリーアントワネットとルイ16世(当時王太子)の婚礼を祝う花火大会が行われたこの地で、彼らが最期を迎えることになるとは、誰に予想できたでしょう・・・。

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贖罪教会
写真は昨年(2008年)10月訪問時のもの。同年4月訪問時は閉まっていて礼拝堂に入れず、次回は真っ先に来ようとパリ着後、翌日の開館時間に合わせ、すっ飛んで行った・・・。

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贖罪礼拝堂  ひっそりと佇む神聖な場所です。 王政復古後のルイ18世により建立。
ルイ16世、マリーアントワネットは最初こちらに埋葬されました。
その後1815年、ルイ18世(ルイ16世の弟)の命により発掘、王家の霊廟サンドニ大聖堂に移されました。

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ノートが置いてあり、昨年10月に訪れた時、一筆したためた。「王妃様万歳」と書いていた人もいた。日付は10月16日だった。

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地下には祭壇と、ルイ16世とマリーアントワネットの彫像が設置されていました。写真は撮りませんでした。
と、いうのも他に誰もいなくて、怖くなってしまったのでした。

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こちらの地下には今なお、多くのギロチンの犠牲者が眠っています。白いバラが彼らの魂を慰めているようでした。


私がマリーアントワネットのことを知ったのは、「ベルサイユのばら」を読んでから。
小学生だった私は、いとこと伯父と本屋に行った際、好きなのを買ってあげると言われ、
そこで選んだのが「ベルサイユのばら」しかもなぜか第3巻(笑)。伯父やいとこに「3巻だけ?」と笑われたっけ。それもそのはず、その本屋で私は初めて「ベルサイユのばら」を知ったのだから!

そして彼女のことに興味を持ち、本当にこの人達は実在したのか?と疑問を抱き、「こども人物図鑑(のようなタイトル)」という子供向けの世界や日本の歴史上の人物が載っている百科事典で、彼らの名前を引いてみた。
すると、フランス革命で処刑された・・・とあった。
かなりの衝撃を受けた記憶がハッキリと残っている。そしてブルーな気分になった。
毎晩、寝る前(なぜ寝る前?)に、事典を引っ張り出し、確認してから寝ていた。
ルイ16世はカレ作の、顔の部分が載っていたように思う。
ただ、肝心のアントワネットは忘れてしまい、おそらく例の有名なヴィジェ・ルブランの「薔薇を持つ王妃」だったはず・・・。

ここから彼女の生涯を追う、私のライフワークが始まった。
シュテファン・ツヴァイクの「マリーアントワネット」から始まり、彼女やハプスブルグ家、ヨーロッパ王室に関する本。フランス革命や、タンプル塔の本、死刑執行人サンソン家の本・・・とにかく片っ端から読んだ。

そしてもちろんフランスへも・・・初めて行ったのは20歳の時、以来何度足を運んだことだろう!
実はマリーアントワネットを知るまでは、ナポレオンが好きだった。
歴史上の人物は誰が好き?と訊かれる(訊かれなくても自らわざわざ)と、ナイチンゲールやヘレンケラーではなく、「ナポレオン」と答えていた。ひょっとすると、ダヴィッドの描く彼がカッコよく見えたのかもしれないが、彼の物語を読み、人一倍努力をし、逆境の中を突き進んでいく姿に、幼いながら惹かれたのかもしれない。


話が逸れましたが、今日はいいお天気でした。216年前の今日に想いを馳せ、静かに手を合わせました。

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教会すぐそばのレストラン その名も「PUB ルイ16世」

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コンコルド広場より、凱旋門を眺める。
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by pinkfleur | 2009-10-16 19:46 | アントワネット関連・人・事