ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~                         

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2010年 05月 10日 ( 1 )


2010年 05月 10日

マダム・エリザベトの命日 - L'anniversaire de la mort de Madame Elisabeth -


人は何かを選択しながら生きている。


歴史にもし、を言いだしたらキリがありません。


でも、もし、彼女がフランス革命勃発(1789年)と同時に
すぐ上の兄、アルトワ伯一家と共に亡命していれば
革命後もおそらく生き延びることができたはずです。


彼女が選んだのは長兄ルイ16世と、本人が
仲の良かった義姉マリー・アントワネットのそばに残ること。


革命中、ルイ16世とアントワネットを支え続けます。


しかし、この選択によって彼女は過酷な運命までも
兄一家と共に辿ることになってしまいました。


その彼女というのはルイ16世の末妹マダム・エリザベト



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" Elisabeth Philippine Marie Hélène dite Madame Elisabeth "

エリザベト・フィリピーヌ・マリー・エレーヌ 通称マダムエリザベト


1764年5月3日 - 1794年5月10日 享年30歳


作 : 1782年 エリザベト・ヴィジェ・ルブラン夫人 


肖像画来歴 : カール伯爵家の孫娘、オンシュー侯爵夫人と姉妹マダム・ベアトリクス・ベルティエより寄贈
1961年2月10日ヴェルサイユ宮殿入り(図録 MARIE-ANTOINETTE RMN刊より)


この肖像画を初めて見た時、ああルイ16世に似ている!って思いました。



1794年の今日5月10日、マダム・エリザベトは現在のコンコルド広場において
断頭台上で、その30年の生涯を終えました。


この日彼女は、一緒に断頭台に向かったルイ16世の弁護人
マルゼルブ氏の姉セノザン夫人や他の受刑者たちの
処刑を見届けさせられ、最後にギロチンにかけられました。


受刑者ひとりひとりがマダム・エリザベトにお別れをし
断頭台に登ったと言われています。


処刑前夜のコンシェルジュリでは、受刑者たちを
慰め励まし、人生最後の夜を過ごしました。



マダム・エリザベトは1764年5月3日、ルイ15世の息子、
王太子ルイ・フェルディナンとマリー・ジョゼフ・ド・サックスの
8番目の子供、末娘としてヴェルサイユにて誕生しました。


兄達に、前述のルイ16世、プロヴァンス伯、アルトワ伯
また5歳年上の姉クロチルドがいました。


肖像画からも見てとれるように、少しぽっちゃりした体型は
両親からの遺伝、さらに厳密に言えば、父方の祖父の元ポーランド国王
スタニスラス・レクザンスカの血がしっかり受け継がれています。



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父ルイ・フェルディナン(この肖像画は痩せていますが後に太ったそうです)(2008年11月撮影)
・・・見づらくてスミマセン。



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母マリー・ジョゼフ・ド・サクス (2008年11月撮影)



彼女が1歳の時に父が、そしてまだ3歳に満たぬ頃に母が
相次いで亡くなります。
(この父の死により、長兄ルイ・オーギュストが王太子となり
その後、ルイ16世となります。)


そしてエリザベトが6歳の時に長兄ルイ16世の妃として
(正確にいうと当時王太子妃)
オーストリアからマリー・アントワネットがヴェルサイユに
嫁いで来ました。


イギリス人伝記作家アントニア・フレイザーの伝記
マリー・アントワネットによると、アントワネットが初めて
エリザベトに会ったのは、1770年5月16日水曜日
アントワネットとルイ16世の結婚式当日、王太子妃の部屋で
ルイ16世の兄弟姉妹を紹介された時とのこと。



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この部屋で会ったそうです。 (2008年11月撮影)



14歳半のアントワネットと、6歳のエリザベト、
二人とも、とってもかわいかったことでしょうね。



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先のエリザベトの肖像画が収められている図録「MARIE-ANTOINETTE」にXavier Salmon 氏が寄せているフランス語の文章を訳してみました。


「ヴェルサイユに到着後、すぐにマリー・アントワネットはルイ16世より10歳年少の妹エリザベトに愛着を覚え、やがて長い年月と共に若い二人の女性の間には本物の愛情が育まれた。」


とあります。


子供が好きだったというアントワネットですから、ことのほかエリザベトをかわいがったことでしょうし、またアントワネットは末娘(弟はいます)であったため、彼女を実の妹のように思っていたことは間違いありません。




また物心もつかぬ間に両親を失くしていたエリザベトも
誰よりもかわいがってくれるアントワネットを
義理の関係を超えた本当の姉と慕っていたのではないでしょうか。


さらにXavier Salmon 氏によると


「プチトリアノンでエリザベトは、王妃と同じ階に部屋を持っていた」


とありますので、王妃が彼女を信用していたことが窺えます。


アントワネットは母マリア・テレジアに、エリザベトのことを
何度となく書き綴り、彼女の後ろ盾になってあげたいと
責任感を強くしていますが、皮肉にも二人の末路は残酷極まりない
ものとなってしまいました。


思慮深く、穏やかで敬虔であったエリザベトですが
革命中、アントワネットたちの元に留まりながらも
むざむざと革命の波に翻弄されるよりはと、
兄プロヴァンスやアルトワによる亡命貴族軍を応援し
アントワネットやルイ16世の意見に反目する
気の強い面も持ち合わせていた彼女。


タンプル獄では、国王一家の従僕であったクレリーが
エリザベトがベッドのそばで祈る姿を何度も見かけた
と自身の日記で述懐しています。
収録「ルイ十六世幽囚記」


その彼女のベッドは現存し、パリ・マレ地区にある
「カルナヴァレ博物館」にて目にすることができます。
簡素ではありますが、かわいらしいベッドでした。



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現在この肖像画はマリー・アントワネットのプライベート・アパルトマンに飾られています。(2008年11月撮影)


やっぱり、肖像画は実物をこの目で見るのが一番だと思います。
今の世の中、ネットでほぼ何でも見ることができますが
その物の放つオーラや存在感までは、掴み取ることはできません。


対峙して初めてその背景が見えてくるような気がします。


彼女の肖像画(写真)を前に、ふとそんなことを思いました。


多くのギロチンの犠牲者のひとりとして、
エリザベトの名前もまた、コンシェルジュリに記されています。
ご訪問の折には、アントワネットの名前と共にどうぞ探してみて下さい。



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こちらはサン・ドニ大聖堂内のエリザベトの墓碑です。
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by pinkfleur | 2010-05-10 18:04 | アントワネット関連・人・事