ヴェルサイユの花 ~Fleur de Versailles~                         

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2010年 02月 06日 ( 1 )


2010年 02月 06日

メルク修道院  Stift Melk

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オーストリア、メルクの修道院 2008年5月に訪れました。



1770年4月21日ウィーンのホーフブルグ宮(王宮)を発ったマリー・アントワネットは、
これから23泊24日かけて未来の夫の待つフランス・コンピエーニュを目指します。



ウィーンを離れた最初の夜を、ここメルクの修道院で過ごしました。



先回りしていた長兄・ヨーゼフⅡ世が出迎えてくれました。(よかったね、お兄さんがいてくれて)



どんな所で、1泊したのだろうと、その理由のみでここまでやって来ました。

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昨年発売された記念切手です。 メルクの修道院が切手になっていますね。 

切手シートの下の方をよく見ると、発行日が "10月16日" です。 奇しくもアントワネットの命日です。(偶然) (ハッキリ見えないですね・・・すみません)

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メルク駅から修道院へは約15分程です。 ラートハウス広場から細い坂道を上がります。

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この日の夜、アントワネットのために、ドイツ語のオペラ「レベッカ、イザークの花嫁」が上演されたそうです。



これはマリア・テレジアが各宿泊地のホストに、娘が退屈しないよう演劇などを上演するよう指示を出しています。



全て僧達が演じ、他にもプロのテノール歌手やソリスト達も男性だったとのこと、宝塚歌劇団の逆パターンです。(笑)
アントワネットはヴェルサイユへの旅の最初の夜に、「オール男性のオペラ」!の歓迎を受けます。

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ハプスブルグ家の紋章「双頭の鷲」



またここメルクの修道院は、オーストリア継承戦争と深く関わりのあった場所です。



簡単に説明するとこうです。(といっても少し長いです)



1711年4月オーストリア皇帝ヨーゼフ1世が亡くなった時、嫡男がおらず弟のカール6世、マリア・テレジアの父が後継者となりました。



マリア・テレジアの父、カール6世と母エリザベートには男子がいなかったのですが、何とか娘マリア・テレジアを後継者と決めることができました。
しかしカール6世の亡くなった兄、ヨーゼフ1世の娘と娘婿たちが、「それはおかしい」と文句を言い出したのです。



(ちなみに亡きヨーゼフ1世の二人の娘婿たちは、ザクセン選帝候・ポーランド王フリードリッヒ・アウグストと、バイエルン選帝候カール・アルブレヒトです。)

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そして話し合いを持つ前にこのメルクの修道院に、バイエルン選帝候カール・アルブレヒト一家がやって来るのです。



ここで数日滞在した後、マリア・テレジアの父カール6世に直談判をしにプーカスドルフに向かいますが、話が丸く治まるわけもなく、
翌年1740年カール6世が亡くなり、ここぞとばかりにマリア・テレジアに戦いを挑みます。これがいわゆるオーストリア継承戦争の始まりです。



いろいろありましたが最終的に、王冠は無事マリア・テレジアとフランツ・シュテファン(アントワネットの父)が奪還します。
その際メルクの修道院に本陣が置かれていました。

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蔵書10万冊 確かめるのも億劫になる冊数です。

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翌朝、兄ヨーゼフ2世に見送られアントワネットはメルクを後にします。

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雨が降っていたそうです。 肉親と別れ、アントワネットはどう思ったのでしょう。

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坂のふもとのこの薬局は、アントワネットがやって来た頃からあったそうです。



私と夫は、メルクの修道院を後にし、ワッハウ渓谷クレムス行き、ドナウ川下りの船乗り場へ。
ワッハウ渓谷の文化的景観(この景観の中にメルクの修道院も含まれる)は、世界遺産となっています。



修道院を訪れた時点では、私はアントワネットのことばかりで頭がいっぱいで世界遺産だとは知りませんでした。
ガイドブックもロクに見ていませんでした。



世界遺産であろうがなかろうがそんなことはどうでもいいのです。
日本人は世界遺産という言葉にやたら反応する人が多いようですが、そうでない大自然や遺跡や景観や建物には敬意を払わないのでしょうか。
疑問を投げかけたくなる人に時々出くわします。



修道院から船乗り場まで結構歩きました。



14歳のアントワネットはどう思ってここを後にしたのだろう、などと考えながら
ワッファウ渓谷の美しい景観を、少し寂しい気持ちで眺めていると、
黄色い「メルクの修道院」が視界に入って来ました。



彼女が出発した時と似たようなお天気で、曇っていて小雨が降ったり・・・。
ドナウ川の曲がり方によって、修道院は姿を見せたり消したりしながら段々小さくなっていきます。



高台にある修道院は、アントワネットの目にも飛び込んできたことでしょう。
240年前アントワネットを見送り、そして現代、彼女と反対方向に向かう私を見送ってくれました。





参考文献:ケーラー・鹿子木恵美子著「ロココの花嫁マリー・アントワネット ベルサイユへの旅路」叢文社
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by pinkfleur | 2010-02-06 23:57 | オーストリア