2010年 06月 10日

ミタウ宮殿



1799年の今日6月10日
革命後唯一生き延びたマリー・アントワネットとルイ16世の忘れ形見、マリー・テレーズが
従兄のアングレーム公と、クールラント(現ラトヴィア共和国)のミタウにて結婚式を挙げました。


e0190118_23514785.jpg

結婚式を挙げたミタウ宮殿   亡命中のブルボン王家一家は1798年から1780年までここで暮らしました。
(現在はラトヴィア農業大学が使用)



1799年5月、マリー・テレーズは従兄ルイ・アントワーヌ・アングレームとの結婚のため
ウィーンを発ち、ミタウに向かいました。


従兄アングレーム公とは、ルイ16世の末弟アルトワ伯の長男です。


ロシア皇帝パーヴェル1世の厚意により、ルイ16世の弟たち一家はミタウ宮殿で
暮らしていました。


ミタウの地で彼女を待っていたのは懐かしいブルボン家の人々、亡命中の貴族たち。
彼等と涙の再会を果たします。


叔父のルイ18世(プロヴァンス伯)とはヴァレンヌへの逃亡時チュイルリー宮殿で
別れてから8年ぶり。
アルトワ伯(後のシャルル10世)や婚約者で従兄のアングレーム公とは
革命勃発時以来10年ぶりの再会となりました。


そして最も彼女との対面を願い続け、この日を待ち焦がれていた人はおそらく、
ルイ16世の最期の証人エッジウォルト神父だったのでは、と思います。


ルイ16世の聴聞司祭となったエッジウォルト神父は、タンプル塔から処刑場まで
ルイ16世に付き添い、断頭台の下で彼の最期を見届けました。


エッジウォルト神父はマリー・テレーズを前に涙にくれ、言葉になりませんでした。
父王の最期を聴いたマリー・テレーズはどういう気持ちだったのでしょう。
新たな悲しみと同時に憎しみも増幅したかもしれません。
けれども安堵の気持ちも生まれたのでは・・・と思います。
それは、もうこれ以上悲しい事実を聞かされることはないからです。


タンプル塔で過ごしたルイ16世一家のうち、マリー・テレーズだけが
生き残ることができたのです。


恐怖政治が終わったあと、彼女を待っていたのは母、叔母エリザベト、弟の死でした。
それぞれの最期を知り、あとは父王の死を間近で見たエッジウォルト神父から
話を聴くだけでした。



エッジウォルト神父はマリー・テレーズの結婚式の介添えを努めました。
新郎新婦はもちろん、この場にいたすべての人が感無量だったことでしょう。


結婚式当日パーヴェル1世から贈られたダイヤモンドの首飾りを着けた
マリー・テレーズは美しかったに違いありません。



e0190118_0185782.jpg

























マリー・テレーズ17歳頃  Heinrich Friedrich Füger 作  1795年 


父、母、弟が装飾されたカメオを身に付けています。
[PR]

by pinkfleur | 2010-06-10 23:46 | アントワネット関連・人・事


<< 王妃のボンボン      ショパン -生誕200年ー >>