2010年 05月 23日
「三色帽章」を着けたフランス国王ルイ16世 (黒い帽子の右、赤く丸いコサージュみたいなもの) 写真はルイ16世一家が逃亡の末逮捕された街、ヴァレンヌにあるアルゴンヌ美術館を訪れた時のもの。 (2008年4月) 1789年7月17日バスチーユ陥落から3日後、パリ市庁に来たルイ16世は、パリ市長バイイ(バイイも断頭台の露となる)からこの三色帽章を受け取りました。 三色帽章とは革命のシンボル、今のブローチのようなもので赤白青の三色から成っており、これが今日のフランス国旗の由来となっています。 この三色帽章の発案者は国民衛兵軍の指令官ラファイエットか、はたまた前出の市長バイイかそれぞれが主張していたようで、現在でも特定に至っていません。(どっちでもいいです。) 帽章そのものは革命期に突如として表れたものではなく、ルイ15世16世の時代、上流社会や軍人の間で、自分の所属するグループ(思想などを表明する)のアクセサリー的なものとして存在していました。 それが革命勃発と同時に赤白青の三色帽章が作られ革命の証として大流行し、さらにはこの三色帽章の着用が義務付けされ、着けていないと投獄、おそらくはギロチン行きの刑が科せられたようです。 三色の赤と青はパリの色、白は国王の色を表しています。 この国王の白色の由来は、メロヴィング朝のクロヴィス1世が天使から百合の花を与えられたという伝説からのようです。 以降白はブルボン王朝が没するまで国王、王家の色となります。 しかし12世紀末になって初めて登場する「フランス国王の紋章」は、青地に金色の百合の花があしらわれています。 紋章用語としての青(仏語)は、bleu ではなく azur となります。 青を紋章に初めて使ったのはフランス国王で、その青を使用するきっかけとなったのがサン・ドニ修道院院長のシュジェール(1081-1151)の存在が大きく影響しています。 12世紀半ば、シュジェールは美しい宝石サファイアの青を神聖な光と捉え、それまで教会で使用されていなかった青色を修道院建設時ステンドグラスに用い、青を世間に認知させていきます(反対派もいたようですが)。 サン・ドニの青と言われ、それが西に進んでシャルトルの青、ルマンの青と拡がっていきました。 シュジェールが結果、聖母マリアにイメージ付けした「青」を、フランス国王はカペー王朝(ブルボン家の祖)の守護者である聖母マリアを称え、紋章に取り入れたのでした。 シュジェールをもって、初めて王家と青色、が結びついたのでした。それまでに王家と青色に縁はありません。 さらにそれまで青はくすんだ色で職人や農民の作業着の色だったようですが、染色技術の進歩で明るい青を表現することが可能となり、13世紀初頭、ルイ9世が聖母マリアを真似て青い服を着始めます。 青を着た最初の君主です。そしてあっという間に衣装に青、は王侯貴族の間でブレイクします。 以降、王族(フランス)の衣装には、青地にこれまた紋章に組み込まれている百合の花が織り込まれることになったのでしょうね。 話は飛んで(戻って)三色帽章から発展した三色旗は、1814年~1830年の王政復古時(ルイ18世・シャルル10世いずれもルイ16世の弟)には一時廃止され、国王ひいては王家の色の白地に百合の花をあしらった旗が登場していました。 この時代白はすっかり反革命派色となってしまっていたのですね。・・・ボソ。
by pinkfleur
| 2010-05-23 18:45
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