2010年 04月 22日

マルゼルブ通り


パリのマルゼルブ通りをご存知でしょうか。

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マルゼルブ通り (2008年4月訪問時撮影) 
奥に見えるのは聖オーギュスタン教会(仏語読みだとサントーギュスタン教会)
Église Saint-Augustin
                   

マドレーヌ寺院から北西にサントーギュスタン教会を経て
メトロ3号線マルゼルブ駅まで延びている大きな通りです。


この通りの名は、革命政府による国王ルイ16世の裁判において
国王の弁護を務めた「マルゼルブ氏」にちなんで名付けられました。



フランス革命当時の1794年、216年前の今日4月22日
マルゼルブ通りの由来となった人物、
クレチアン=ギョーム・ラモワニョン・ド・マルゼルブが
コンコルド広場の断頭台で72年の生涯を閉じました。


この日マルゼルブは、長女アントワネット・テレーズ・マルグリットと
その娘(マルゼルブの孫)アリーヌ・テレーズとその夫シャトーブリアン
(作家シャトーブリアンの兄)と共に処刑されました。
反革命文書を隠匿していたという罪で。


しかもマルゼルブは彼等(娘、娘夫婦)の処刑を見届けさせられ
最後に断頭台に登ります。 ・・・想像するに堪えません。


その二日前には長女アントワネットの夫ロザンボが
そして5月10日にはマルゼルブの姉セノザン夫人アンヌ・ニコルが
ルイ16世の妹マダム・エリザベトと共に断頭台の露と消えました。



マルゼルブの存在を知ったのは今から十数年前「ルイ16世幽囚記」を読んで。


すでに隠居生活を送っていたマルゼルブは
ルイ16世の裁判が行われることを知ると、自ら国民公会に手紙を書き送り
国王の弁護を申し出、弁護人となりました。


私はルイ16世にこういう人がいてよかったなぁなどとのん気に思っただけで
マルゼルブのその後が特に気になったわけではありませんでした。



その後、今から数年前、書店でパリの「通り」を紹介していたガイドブックを手にし
マルゼルブの名にちなんだ通りがあるということを知りました。


さらに我が目を疑いたくなるような事が記されていて愕然としました。


マルゼルブ本人と、そして彼の家族までもがギロチンの刑に処され
革命の犠牲者となったとあるのです。


王党派とみなされ処刑されたのです!


その後、国王の弁護という危険な任務を恐れず命を賭した彼を称えた
「マルゼルブ通り」が誕生したのでした。マルゼルブ駅も同様です。
 

ショッキングな事実に革命の恐ろしさを再認識したような
そんな思いで一杯になりました。


そして今度パリに行ったら、必ずマルゼルブ通りを歩こうと誓い
実践した次第です。


さらに彼について知りたいと読んだ本
「木崎喜代治著 マルゼルブ フランス十八世紀の一貴族の肖像」
マルゼルブが単なる王党派ではなかったことがわかった一冊です。



マルゼルブは1721年12月6日
フランスの法服貴族の名門ラモワニョン家の5人目の子供としてパリで誕生。


17、8世紀の貴族の館が多く残るマレ地区に私は渡仏の際、必ず訪れます。
カルナヴァレ博物館などがありますし、またこの界隈はおしゃれです。


このカルナヴァレ博物館とフランブルジョワ通りを隔てた彼の生家は現存し
現在ではパリ歴史図書館となっています。 


それがこちらです。 通称ラモワニョン館。

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(2008年10月訪問時)

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マルゼルブはルイ15世の治世下で、出版統制局長、租税法院院長
そしてルイ16世の下では、二度大臣職に就いています。


彼は王党派ではなく民主主義を訴えた反権力側の人間でした。


出版統制局長時代は、革命的思想の啓蒙思想家たち
ヴォルテール、ルソー、ディドロなどの著作物に出版許可を出し
彼のもとで刊行されています。


*皮肉にもマリー・アントワネットもルソーの自然回帰主義に
影響を受けます。


そして租税法院院長として、税制度の改革や絶対王政を批判し
特にルイ15世からは疎まれています。


重税に苦しむ国民と財政難の国家再建のため
王政の抜本的改革を唱え続けたマルゼルブ。


果たして彼の尽力は実を結ばないまま革命は起こり
ルイ16世の裁判では、彼をよく知る自分が弁護するべきであると
そしてすでに国王ではない一市民であったからこそルイ16世の
弁護を引き受けたのではないかと、私にはそう思われます。


亡命中のルイ16世の弟プロヴァンス伯からの呼び寄せに応じず
マリー・アントワネットや王妹エリザベトの弁護をも
引き受ける心づもりいたマルゼルブ。


王の弁護人を尊敬し褒め称える風潮をおそれた
革命政府はマルゼルブを、真の国民の味方を抹殺してしまいます。



マルゼルブ一家が逮捕された際、一家の逮捕に納得のいかない住民たちは
護送車の後を追ったそうで、彼がいかに好かれていたことがわかります。


また牢獄内では自分よりもっと年寄りに自分の部屋を譲ったりなど
心根の優しい人でした。



刑場に向かうためコンシェルジュリから出る時
つまずいて倒れそうになったマルゼルブが最期に言ったとされる言葉


「悪い前兆だ。ローマ人だったら引き返すのに。」



引き返すさずに前に進んだマルゼルブ 革命政府は彼の何を恐れたのでしょうか。

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Chretien-Guillaume de Lamoignon de Malesherbes1721年12月6日-1794年4月22日



ラモワニョン館 パリ市歴史図書館
Hôtel de Lamoignon - Bibliothèque Historique de la Ville de Paris -
24 rue Pavée, Paris 75004 Paris
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by pinkfleur | 2010-04-22 23:58 | パリ


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